愛に恋

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消えたフェルメール 朽木ゆり子

あり得もしない妄想を思い描いたとして、私の場合、アラブの王様のようなとてつもない大金持ちと仮定した場合の話だが、あり余る財力で美術品や骨董品を買い漁り、個人美術館を作る、そんなことを考えてみたりする。
入場者は全て会員制で、私はいつもオークション会場へ入り浸り、最も、金持ちは代理人を立てるのかも知れないが。
なんて空想をしている分には楽しいが、本書を読んで初めて気が付いたが、邸宅美術館はダメらしい。
その典型的な例がのイザベラ・スチュワート・ガードナーが作った、通称イザベラ美術館。
少し引用する。
 
彼女は自分が築き上げたコレクションとその空間を、死後もどう継続させるかを真剣に考え、作品の貸し出しはもちろん、新しい作品を加えることも、展示位置を変えることも禁じる遺言を残した。これに違反した場合は美術館を解体し作品すべてを競売にかけること、という厳しい罰則を設定している。
 
夫人は1924年に亡くなるまで4階に住み、邸宅は春と秋に10日ずつ一般公開された。もっと頻繁に公開したかったが、小さな展示物が持ち去られることが多く、だからといって警備員を大勢雇う費用はなかった。
 
そのガードナー美術館に強盗が入ったのは、1990年3月17日が18日に変わって暫くした頃、ボストン警察を装った二人組の強盗がギャラリーに押し入り、レンブラントの『ガラリアの海の嵐』『黒装束の夫人と紳士』、フェルメールの『合奏』など13点の美術品を奪い去った。
つまりは、邸宅美術館は元々住宅として造られているので、防犯システムを強化しても限界があり標的になりやすいという弱点があるというわけだ。
 
それ以前の1971年9月23日、ベルギーでもフェルメールの『恋文』が盗まれている。
しかし、犯人の要求は予期せぬもので、カトリックの慈善団体「カリタス・カトリカ」を通じて飢えで苦しんでいる東パキスタン難民に約400万ドル(14億4000万円)寄付せよというものだった。
その後、犯人は逮捕されたが、持ち去る時に丸めてズボンのポケットに突っ込まれたため、数か所で絵の具がなくなった無慙なもので、こうなっては修復も大変。
 
フェルメールの絵は1972年2月にロンドン、ケンウッドハウスから『ギターを弾く女』と1974年4月26日にダブリン郊外の邸宅ラスボロー・ハウスでも『手紙を書く女と召使』を含めた19枚の絵画が盗まれている。
この二枚の絵には、あるエピソードがあり、フェルメール家は子沢山で11人も子供が生まれ、そのため、家計は苦しく借金の質草として、上記の絵を渡したと言われているらしいが、なかなか説得力のある話だ。
ではなぜ絵画は盗まれるのか、著者は言う。
 
そもそも、絵画が「人質」になり得るのは、優れた芸術品は社会全体にとって貴重なもので、それを破壊するのは一種の蛮行で、その芸術品を鑑賞する機会を失うのは社会にとって大きな損失だ、という考え方が社会に浸透しているからだ。
 
動機としては大方、四つに分類されている。
 
・自分で所有するため
・売ることによって金銭的な利益を得るため
・買い戻し金、あるいは報奨金を得るため
・政治的あるいは道義的な目的を達成するため
 
謂わば絵画誘拐だが、これには単なる金目当ての誘拐と違って、昔、何かとニュースになっていたIRAのグループが関与していた時代もあったらしく、場合によっては殺害事件まで起きる怖い話もある。
 
ここに書いたフェルメールの盗難作品は一応の事件解決と修復も済んだようだが、ただ一点、『合奏』だけは今も行方不明のままで、このまま永久に出て来ないのだろうかとある。
しかし、絵は一点ものだけあって損失は大変なことだ!
 

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《合奏》