愛に恋

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風の盆恋歌 高橋 治

 
私は花の名前に疎く、大抵の場合、名を知らない。
こんなくだりがある。
 
「朝の中は白いのですが、昼下がりから酔い始めたように色づいて、夕暮れにはすっかり赤くなります。 それを昔の人は酒の酔いになぞらえたのでしょう」
「それは、また、粋な」
~略
「で、酔った挙句がどうなります」
「散りますな」
「酔って散るのですか」
「一日きりの命の花です」
 
なるほどね、だから酔芙蓉(スイフヨウ)という名が付いた。
しかしこの花、見たことあるだろうか!
 
文学は展開や結末も大事だが、思わず膝を打つような文脈を目にすると、言い知れぬ陶酔感を覚える。
例えばこんなくだり。
 
面と向かってはなにもいえない思いのたけも、踊りの艶としてなら出せる。
それが相手に通じて、好きな男に嫁いでいった友達もいる。
 
上手いこと言うね!
踊りとは富山県八尾町で言われるところの「風の盆」、民謡越中おわら節を歌いながらの踊り。
これはどうか。
 
体には手斧削(ちょうなけずり)の欅の柱のように、贅肉と思えるものがひときれもついていなかった。
 
三味線は弦をはじく楽器だから音と音とはつながらない。その間を弦をこする胡弓の音が埋めて行く。
性質の違う二種類の弦楽器が、呼び合い、答え合うように演奏される。三味線が歌い、胡弓は歌が掬いきれなかった情感を訴え続けるように聞こえる。
 
すばらしい筆力!
また筆者は酔芙蓉について主人公を通じ、このように書いている。
 
午前中の白さは凛としたものを感じさせるほど澄み返っている。ほんのりと紅がさしたのが一時頃だった。二時、三時、紅が増した。白さが厳しいものだっただけに、色づいて来る様は、酒に酔うというよりも、女が自分の内側から突き上げて来るものに抗い切れず、崩れて行くありようを連想させた。
性衝動を思わせるようなエロティックな表現、実に素晴らしい。
この小説は謂わば不倫を扱っているのだが、相手の女性えり子が男性が会う場面。
 
向き合うように振り向いた。見つめ合う時間をえり子が崩し、胸に倒れこんで来た。
 
繊細なタッチで、文章を紡ぎ出す才能は、なかなか養えるものではないとよく承知してるが、如何にしたらこのような文体を手に入れられるのか、私には、そんな才能は備わってない。
せめてもっと文才があればと過去、どれだけ悩ましい思いをしたことか。
そして決め台詞のようなこの一首。
 
命裂かむ しがらみ去れと 期しつつも 陽の傾けば 汁の菜きざむ
 
現在のしがらみから、何とか抜け出したいと思うものの、夕方になれば家族のため夕飯の用意、とこんなところか。
感動的なラストが待っていたが、まあそれは書くのは止めておく。
不倫を是認したとあっては世間様からお叱りも受けようが、しかし名文が持つ筆力の高さか、純愛として昇華させたい結末だった。