愛に恋

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青眉抄 上村松園

本題を前に昨日の『セクシー川柳』に関連して私も、女性の立場にたって一句考えてみた。
 
おなごには ふにゃ珍へのこ 用はなし
 
お後がよろしいようで。
数年前から行きつけにしている歯医者に、とても気になる女性スタッフが居る。
歳の頃は、まあ22・3歳というところか。
明るく朗らかで、勤務外に商店街で出くわすこともあるのだが、私が気にしているのはその子の眉毛。これが実に色気のある眉で、左右の脇の部分をかなり剃り込んでいて、器用に蝶の羽のように、寸分違わずぴったり重なるぐらいなバランスの良さを見せているため、その子と話すときはついつい眉を見ながら話すことが多い。
その眉について上村松園はこう書いている。眉目秀麗にして、眉ひいでたる若うど、怒りの柳眉を逆立てて、三日月のような愁いの眉をひそめて、ほっと愁眉を開いて眉を感情の警報機にたとえて、古人は眉について表現が上手い。確かに、眉の長さや濃さ、下がり具合に上がり具合、これが絵画となれば尚更のこと、眉こそ感情の表現なのかも知れない。
今でこそ青眉などという風習は廃ったが、明治の頃までは嫁して子供が出来ると、必ず眉を剃り落とす習わしがあったらしい。
それに対して松園は、
 
「如何にも日本的で奥ゆかしく聖なる眉と呼びたい」
 
またはこうも。
 
「剃りたての青眉はたとえていえば闇夜の蚊帳にとまった一瞬の蛍光のように、青々とした光沢をもっていてまったくふるいつきたい程である」
 
とまで言っている。
その振るい付きたくなるという青眉を、当然私は見たことがない。
とにかく松園という人は若くして才能を認められただけあって、その観察力の細やかで鋭いこと。特に、無数にある日本髪の形については事細かい。
関東風や関西風という大別だけじゃなく、関西といっても京都流と大阪流。
日本の伝統美をとことん追求するには、平安期からの様式美も大切。
松園は生涯、三人の師に就いて学んだというが、その一人、金剛巌先生とのやりとりが面白い。
 
「嫉妬の女の難しさをどうしたら出せるのか」
 
と尋ねると師曰く。
 
「能の嫉妬の美人の顔は眼の白眼の所に特に金泥を入れている。これを泥眼と言っているが、金が光る度に異様なかがやき閃きがある。また涙が溜まっている表情にも見える」
 
そして松園は能の研究にも勤しむ。
 
能楽の幽微で高雅な動作、その装束から来る色彩の動き、重なり、線の曲折、声曲から発する豪壮沈痛な諧律、こんなものが一緒になって観る人の心を打つのです」
 
芸術家といっても様々だが、画家や彫刻家で本来物書きではないのに文筆に長けている人が居るが、松園のこの文章などは余程、芸の道に精進しないと書けないような観察力だろう。
また、眉についてこんな記述も残している。
 
「うれしいときは、その人の眉は悦びの色を帯びて如何にも甦春の花のように美しくひらいている」
 
「甦春」で“こはる”と読むらしい。
甦とは何ぞや?
よみがえる生きかえるという意だとか。
つまり嬉しいと眉も春のように活き活きと蘇えってくるというわけだ。
なるほどね!明治期、芸術に関する師弟関係はとても厳しいものだったと書いているが、彼女が追求して已まなかった古式ゆかしい伝統と様式美。
松園は昭和24年に亡くなっているが、現在の女性ファッションなどを見たら何と言うだろうか?余談だが、上村松園を知ったのは昭和40年頃のことで、切手収集に夢中だった私は、確か郵便局で「序の舞」を買ったのが初めだと思うのだが。
本書は昭和52年3月に講談社文庫から発売されているが、最近の文庫本では考えられないほど文字が小さく老眼鏡を掛けても読み辛い。