愛に恋

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徳島ラジオ商殺し事件 渡辺倍夫

 
徳島ラジオ商殺し事件、何か聞いたことがあるような、ないような。
とにかく知らないことは一度読んでみようと思い、心に止めておいたところ、偶然にもブックオフで見つけて購入。
 
事件が起きたのは昭和28年11月5日午前5時頃というから、私はまだ生まれてない。
徳島駅前のラジオ店経営者三枝亀三郎が、店の奥四畳半の間で、妻と9歳になる娘桂子が目撃する中で頸部、腹部を刺され殺害されたもの。
捜査の結果、妻冨士茂子(未入籍)と娘の証言などから、犯人外部説を有力視していた警察に対して、検察は犯人内部説を取り、茂子を主犯として逮捕。
 
昭和31年4月18日、徳島地方裁判所は茂子に対し、懲役13年を科す。
茂子は直ちに控訴、しかし、32年12月23日、徳島高等裁判所はこれを棄却。
33年5月10日、一旦、最高裁に上告したものを取り下げ、茂子は和歌山刑務所に服役。
ここから長い闘いが始まる。
 
茂子有罪の決め手は店員の二人、即ち西野と阿部の目撃証言。
隣家から茂子が夫を襲う場面を見たと証言。
これに対し弁護側は、検察官が高圧的に二人を誘導して状況を作り出し証人は故意に嘘を言っていると主張。
 
しかし、日弁連を初め、有名作家や多くの支援者らが冤罪を訴え第5次再審請求中にの仮出所後の54年11月15日、無罪判決を聞く前に死去。
その後、姉妹弟への継承にともない名称は第6次再審請求となり、60年7月9日無罪判決が下り、長い闘いに終止符をうった。
 
うふ、ともかくだ、冤罪は絶対あってはならない。
人間だから間違いもある、なんて言われてもこれだけは絶対ダメだと思うのだが、一体、帝銀事件の平沢貞通、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝、狭山事件石川一雄などはどうなのか?
 
人間たるもの、自ら犯した罪に対し司法の場で断を下されたら、大方、諦めも尽き闘う気力など消え失せると思うが人情だが、何年、いや何十年かかろうとも無罪を勝ち取るまで冤罪を訴え、マスコミ、世間、身内を騙し続け正義は我になどと叫び、演技をし続けられるものだろうか。
 
到底、考えの及ばぬことだと思うがどうだろう。
私なら、そんな欺瞞を押し通して、世間を欺き続け獄死なんていうことは出来ない。
しかし、平沢、奥西、石川とそれをやっている人が居た、いや、居る。
それをどう見たらいいのか。
無罪だから声高に無罪を叫び続けると見るのが自然と思うが、そう簡単に事は済まない。
 
検察が有罪と言うから有罪、弁護側が無罪と言うから無罪と軽々に論じてはいけないが、本当に悩ましい問題だ。
 
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