愛に恋

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江戸の下半身事情 永井義男

 
サザンに『BOHBO No.5』という曲があるが、これはキューバペレス・プラードが作った『マンボNo5』を真似たものだろう。
ここで言う「BOHBO」とは、即ち「ぼぼ」のことを意味していると思うが、具体的に言うならば女性のアレの部分を指している。
 
方言と思われるこの単語の起源、または謂れなど詳しくは知らないが、しかし本書の中に「ぼゝ」として、江戸時代には使われていたという記述がある。
 
「諸色が高くなったせへか、ぼゝまで値をあがった」
 
天保元年の文献にある。
諸色とは物価のことだろう。
しかし「ぼゝ」という漢字があるということには驚いた。
即ち「開」、これで「ぼゝ」と読む!
本屋でつい目に付いたこの『江戸の下半身事情』という本、レジのカウンターに出すときには裏返して乗せたのは当然のこと。
 
ともかくも一度ならず思っていたのが、江戸の昔、その下半身事情ならぬ夜の営みは、どのように行われていたのか不思議な点が山とあったので、好奇の趣味も手伝ってつい触手が延びた。
例えばである!
大店や豪商などは屋敷内が広いといっても、所詮は仕切りとなるのは襖と障子。
ましてや家族制度の江戸期とあっては、屋敷内に三世帯が同居し、女中や使用人など多くの人間が一つ屋根の下で住んでいるわけで、身内の者が寝静まったあとで、寝息を窺いながら事に及ぶなど難儀極まりない。
 
事後処理は勿論、夜着の着脱からよがり声など、おちおちゆっくり出来たものではない。
町内の裏長屋住まいに至っては更に悲惨だ。
土間付きの六畳と三畳ぐらいの部屋に親子で住む。
隣家との土壁も薄く声は丸聞こえ。
便所、井戸とも共同となれば、昨夜のよがりを洩れ聞いた、妻たちの卑猥な談義を面白可笑しく語っている様子が目に浮かびそうだ。
 
もっと酷いのは岡場所や宿場の女郎屋では「床割」といって二つの寝床の間を立て屏風で仕切って相部屋で事を為したらしい。
その点、現在と違って性に関する考えが至って大らかだったのだろう。
文献に「ことに屏風は閨房に用る器なれば」とある。
 
上野、不忍池の周辺は待合茶屋のメッカとして有名だったと聞くが、それがどの程度の規模で、どの辺りに建っていたのか長年の疑問だったが、全く予想外の場所にその待合茶屋が建っていたことを今回知った。
 
不忍池に「中島弁財天社」として小さな島があるが、茶店はこの島を囲うようにして建てられ、杭を島にではなく池の中に打ち込んであるので、島から突き出すような形で建っていた。
してみると中々に風情がある光景だったろうに。
その感慨を胸に不忍池を訪れたなら、昔日の色恋と言えども、何時の世も変わらぬ男女の姿がそこに投影しているようで味わい深く「中島弁財天社」を見ることも出来るというものだ。
 
「品川の客ににんべんあるとなし」
 
という川柳があるらしいが上手いことを言う。
つまり人偏、侍と寺のことで、品川では武士と僧侶が多かったと言っているのだが、問題は衛生管理。
確実な避妊や中絶方法がないため、梅毒の蔓延や遊女の健康状態も悪く、客も遊女もほぼ100%の可能性で性病だったらしい。
娯楽の少ない江戸時代とあって、妓楼が流行るのは納得いくが、苦界に身を投じた彼女達の人生を十把一絡げに語るにはあまりにも哀しい。
 
それにしてもだ、あの小さな「中島弁財天社」の周りで色んなドラマがあったかと思うと、過ぎ去った昔の憂世を透かして見たいものだ。
 
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