安々となまこの如き子を生めり
「安々と」とは、妻が一度流産した経験があったので、今回は安産だったと言う意味だろう。
名は筆子と漱石が名付けた。
妻の鏡子が非常な悪筆で、少しでも字の上手な子になるようにとの願いから命名、その第一子、筆子の娘が著者の半藤末利子さんになる。
夫は作家の半藤一利氏。
意外と言っては何だが、明治著名人の家系には多士済々な血族が連なることがある。
松尾伝蔵という名を聞いたことがあるだろうか。
岡田首相は元海軍大将で松尾は陸軍予備役大佐だったと思うが、事件当日、岡田と間違われ中庭に出たところを射殺、反乱軍は彼を首相本人だと勘違いしてしまったほど二人は良く似ていた。
その岡田の妻川住フサと漱石の妻鏡子が従妹同士であるという。
奇縁な取り合わせだが肝心の漱石と岡田は面識がなかったらしい。
余談が長くなったが、本書はエッセイだが漱石のことばかり書かれているわけでもない。
よく知られるように漱石は官費留学でロンドンに赴くが、極度の神経衰弱から「夏目発狂」という噂が在英日本人の間で囁かれていた。
漱石は、食費を削ってまで書籍を買い漁り、ビスケットで飢えを凌いでいたと聞いたことがある。
その結果、欝病になり帰国後は今で言う家庭内暴力を振るっていたらしい。
妻の髪の毛を掴んで引き摺り、子供を容赦なく庭に放り投げる。
凡そ、あの紳士然とした写真からは想像できないが、弟子に対してもかなり厳しかったと言われている。
筆子を娶ったのは松岡だが、結果的にこれが仇となって文壇から抹殺されてしまった。
松岡は自分の使命は漱石山房の保存にあると考え、兄弟子に色々働きかけたようだが、その努力も徒労に終り、山房の保存が出来ないまま震災を向かえ、そして昭和20年4月24日の空襲で消失してしまった。
まったく、忌々しい空襲だ!
ところが現在では・・・行きたいものだ。
漱石の逸話は多いが、正月のカルタ取りが好きだったようで、自分の前に、
「屁をひって尻つぼめ」
「頭隠して尻かくさず」
という札を置いて、これだけは絶対取らせないぞと意気込んでいたとか。
何やらユーモラスの漱石先生である。
最後に、私はよく人のことを「あんた」と呼ぶ癖があるが漱石に言わせると、
「あんたなどという日本語はない。あなたと云いなさい、あなたと」
申し訳ございませんでした。