愛に恋

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銀河鉄道の夜 宮沢賢治

宮沢賢治を知らなかった小学5年の頃、藤城清治さんが描かれた「銀河鉄道の夜」の影絵を見て以来、強い印象を心に植え付けられ、もし銀河鉄道に乗れたならどれだけ素晴らしいかと、胸ときめかせていた時代が懐かしい。宮沢賢治に関しては、文芸評論・評伝・伝記と沢山の書籍が出ているが、『童貞としての宮沢賢治』『宮沢賢治の青春』などは一読の価値がある。『宮沢賢治の青春』などとは少し野暮ったいタイトルだが、唯一人の友人だった保坂嘉内との友情と別れが詳細に書かれており、おそらく『銀河鉄道の夜』は、この嘉内との別れが作品執筆の一因になっているのだろう。賢治は手紙で何度も嘉内に法華経と農業に付いて熱く語り、生涯変わらぬ友情を訴えているが結局、袂を分かった嘉内は戻らなかった。
 
1985年、滅多にアニメを見ることがない私だが『銀河鉄道の夜』がアニメ化されると聞いて、これだけは是非との思いから映画館に足を運んだ。全体的に会話の少ない陰鬱な映像だったが、カンパネルラとジョバンニの別れの場面が今以て忘れられない。向かい合わせに座っていた二人だったが、ジョバンニが窓外を見ている隙に、カンパネルラは席を立ち車列を移動して行く、それに気づき慌てて後を追うジョバンニ。しかし、いくら追ってもカンパネルラは遠ざかるばかり。思い余ったジョバンニは叫ぶ。
 
「カンパネルラ、僕たち、いつまでも一緒だと言ったじゃないか」
 
忘れられないシーンでした。戦前の文士の多くが酒と女で悩み苦しんでいた時に、一人超然と屹立する賢治。色恋に惑溺せず、只管農業改革と教育に打ち込む賢治とは、いったいどんな人物だったのだろうか。訪ねて行けば、おそらくこんな掛札に出会うことだろう。
 
「下の畑にいます」
 
妹の死に際して詠んだ『永訣の朝』にしても賢治の人柄が偲ばれる。
一度、お会いしてお話しを聞きたかった。それにしても賢治はタイトル発案の名人だ。