宮沢賢治を知らなかった小学5年の頃、藤城清治さんが描かれた「銀河鉄道の夜」の影絵を見て以来、強い印象を心に植え付けられ、もし銀河鉄道に乗れたならどれだけ素晴らしいかと、胸ときめかせていた時代が懐かしい。
賢治は手紙で何度も嘉内に法華経と農業に付いて熱く語り、生涯変わらぬ友情を訴えているが結局、袂を分かった嘉内は戻らなかった。
1985年、滅多にアニメを見ることがない私だが『銀河鉄道の夜』がアニメ化されると聞いて、これだけは是非との思いから映画館に足を運んだ。
全体的に会話の少ない陰鬱な映像だったが、カンパネルラとジョバンニの別れの場面が今以て忘れられない。
向かい合わせに座っていた二人だったが、ジョバンニが窓外を見ている隙に、カンパネルラは席を立ち車列を移動して行く、それに気づき慌てて後を追うジョバンニ。
しかし、いくら追ってもカンパネルラは遠ざかるばかり。
思い余ったジョバンニは叫ぶ。
「カンパネルラ、僕たち、いつまでも一緒だと言ったじゃないか」
忘れられないシーンでした。
戦前の文士の多くが酒と女で悩み苦しんでいた時に、一人超然と屹立する賢治。
色恋に惑溺せず、只管農業改革と教育に打ち込む賢治とは、いったいどんな人物だったのだろうか。
訪ねて行けば、おそらくこんな掛札に出会うことだろう。
「下の畑にいます」
妹の死に際して詠んだ『永訣の朝』にしても賢治の人柄が偲ばれる。
一度、お会いしてお話しを聞きたかった。
それにしても賢治はタイトル発案の名人だ。