愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

永山則夫 封印された鑑定記録 堀川恵子

 
子供の頃に世間を騒がせた大事件といえば、まず吉展ちゃん誘拐殺人事件」だろう。
昭和38年3月のことで、連日の大ニュースで大人たちに混じって見ていた記憶がある。
以前、NHKスペシャル「声~吉展ちゃん事件取り調べテープ~」という番組が放送され、犯人小原保を取り調べる伝説の名刑事で最後の岡っ引きと言われた、平塚八兵衛と1対1の遣り取りが録音された番組で、両者の生々しいせめぎ合いのような声が聞こえるので見入ってっしまった。 
 
同年5月、今度は狭山事件が起き、当時はこの二つの事件で持ち切りだったような気がするが、あれはまだ学生運動が盛んになる前だったか。
下って43年8月になると「飛騨川バス転落事故」の惨事で「人災か天災」かという言葉を知ったのもこの時だった。
しかし同年の10月に発生した「永山事件」に関しては何故か全く記憶にない。
 
本書永山則夫 封印された鑑定記録」に興味を持ったのは、それまでに読んだ「永山事件」関係の本とは違い、永山の精神鑑定に当たった石川義博医師が残した、膨大な鑑定記録と約100時間を越える49本のテープ発見が「読まずに死ねるか」的な私の好奇心をそそるに充分だった。
 
著者は石川医師了解の下、テープの掘り起しから始め、今まであまり語られてこなかった永山家のルーツと母ヨシの経歴も遡る。
永山は逮捕直後、母との面会で「おふくろは俺を3回、捨てた」と言っているが、そのヨシも僅か9歳ぐらいの頃に、樺太に置き去りにされ親は故郷青森に帰ってしまった経験を持つ。
 
9歳のヨシは子守奉公のため料亭に出されていたが、経営が傾くと主人らと一緒にロシア領のニコラエフスク渡った、それが大正8年のこと。
その頃、日本軍はシベリア出兵の最中。
余談だが翌9年3月から5月にかけて「尼港事件」という大事件が起きる。
尼港とはニコラエフスクの日本語略だが、赤軍パルチザンがこの街を襲い女性を陵辱し約6000名が殺害された。
 
街は破壊され日本領事を含め在留邦人、駐留日本軍は全滅、国際問題に発展する中、ヨシは約2年間この街に居て、その惨劇を目撃したかどうか分からないが、鑑定医の質問に何故かニコラエフスクでの事はあまり答えていない。
その後、結婚したヨシは7人の子を生むが、博打好きで飲んだくれの夫と不仲になり、筆舌に尽くし難い辛酸を舐めたようなので、一方的にヨシを責めるのは酷なような気もするが。
 
四男として生まれた則夫が凶行に走り、4人を殺害したのは19歳の時だが、本書には書かれてはいないが、名古屋のタクシー運転手殺害に至っては、永山に何ら同情の余地を覚えない。
しかし永山の短い人生をつぶさに読んでいくと、確かに凶悪犯ではあるが、その生い立ちは不憫なものと感じるが、昭和の20年代、貧困に喘ぐ日本人は何も永山家に限ったことではない。
その点を著者はこのように言っている。
 
「少年事件の根を家族という場所に探ろうとする時、必ず問いかけられる疑問がある。同じ環境に育った兄弟は、立派に成長している」
 
確かに私もそのように考えることがある。
がしかし、鑑定医は同じ環境で育った兄弟と言えどもとして、このように分析している。
 
「人間はそれぞれ異なる遺伝子を持ち、育ち方も特性もあらゆる点で異なっている。同じ条件を与えても、時間や場所、本人の状態により、その同じはずの条件すら微妙に変わりうる。そんな人間を数値化したり客観化することは、そもそも不可能だということを学び取った。それほどに人間というものは、奥深く複雑で難しい」
 
親に愛されることもなく、兄弟からは苛められ、赤貧洗うが如く、世間との接触の方法も分からず15歳で上京して働く。
読めば読むほど永山に同情の念を持つが、だからと言って4人殺害が許されるわけではない。
収監後、彼が猛勉強したことは知っている。
出版された永山の小説も読んだ。
 
長い獄中生活にあって、事件を起こした頃の永山ではない別人格の永山が出来上がったことも想像に難くはない。
しかし、遠山の金さんの台詞ではないが。
 
「人を殺めた罪は罪」
 
という事実も厳然としている。
本書は人を裁くことの難しさを投げ掛け、いつ来るとも知れない執行を前に永山がどのような気持ちで日々過ごしていたのか、つくづく考えさせられるものだった。
 
ポチッ!していただければ嬉しいです ☟