旺盛な知識欲で古本を買い漁る姿は流石に人気作家だけあり、その買いっぷりも羨ましい。
そもそも古本とは何ぞや!
既に読まれなくなった古い本のことか、然にあらず。
いつ頃のことかは忘れたが、ある日、ふらりと入った古本屋で思いも掛けない本との出会いが、私を古本の魅惑へといざなう通行手形となってしまった。
棚に押し込まれ私の推参を待つかのように、くすんだ背びれを覗かせていた一冊の大著。
驚きを以って手に取り、さあ、ジャ〇ネットた〇た、一番気になるお値段は!
何と今なら税込み価格で7000円、えぇー、高い!。
しかし、店長のもう一声は無かった。
迷ったが、ここで会ったが百年目。
是が非でも買わねば。
読める、必ず読んでみせると自らを鼓舞して財布からなけなしの金を叩いて買った大事な大事な本、今も私の書棚に眠っているが、あれ以来、この本を見たのは古書店でたった一度、私の物より綺麗だったが。
以来、古本に対する概念は一変。
「そうか、そういうことだったのか古本とは」
と目から鱗のVロートで初めて絶版本の意味合いを知り、まるで軌道修正するかのように古本へのめり込むようになった。
と言っても「道」と呼べるようなものではなく私なんざまだまだ三下。
だがしかし、ルビコン川を渡ったら後戻りは出来ない迷宮の始まりで、自律神経を侵すような、ほんよみ堂の日々。
足手纏いながら、一度、角田先輩のお供をしてみたいものだ。
岡崎師匠の入門への心得は、
「買いたいと思ったときに本はなし」
なるほど、ある古本屋の店主曰く。
「古本屋をやっていて思うことの一つに、モノや人が消えていく、ということは、それはそのまま、その記憶や記録の消滅を意味する、ということがあります。せめてモノだけでも残ってくれれば、それにまつわる『物語』を知りたいと思い、知ろうと努力する人が現れる可能性だけは、残るのではないかと思うのです」
余談だが、戦前の大阪日本橋には神田に匹敵するぐらいの古本街があったと聞く。
しかし昭和20年3月の空襲で一帯は灰燼に帰した。
どれだけの貴重な文物が失われたことか実に哀しい。
最後に角田女史の言を一つ。
「在庫切れ絶版。あぁ、絶版っていうシステムなんとかならないものかなあ」
頗る同感であります。