愛に恋

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竹久夢二写真館「女」

明治以降、西郷隆盛を除けば歴史に名を留めた人物の写真は殆ど現存すると思うが、しかし、その歴史上の人物本人が撮った写真というと意外と公表されていない。
私の知る限り有名なところでは徳川慶喜萩原朔太郎ぐらいだろうか。
慶喜の場合はもっぱら風景写真が多く朔太郎も写真集が出ているが、特別何かを強調するようなものではないが、夢二の撮った対象はずばり「女」で、たまき、彦乃、お葉と遍歴を重ねた彼女たちの写真を後世に残した。
 
約2000枚ほどの写真が現存するらしいが、一番多くシャッターを切った相手は熱烈に愛し合った彦乃ではなくお葉だった。
だが、夢二は腕が悪いのか現像の問題なのか、いずれも薄ぼんやりしたものが多く意識せずして絵画そのままに薄幸な雰囲気を醸し出している。
夢二を訪ね不在だったがために川端康成が偶然に会ったお葉は、絵に描かれた「女」そのものだったと驚いている
著者が言うには。
 
肖像画というものが、もし、人物の存在感を描き出すのだとすれば、夢二の女は、そのまわりの雰囲気に溶けて、輪郭が消えてしまいそうである。人物画とはいえまい」
 
なるほど、夢二の写真は被写体とバックの風景の境界線が曖昧なようにも見え人物写真というよりは風景画の中に霊が溶け込んでいるように見える。
どれも記念写真というようなものではなく、通り過ぎようとしている「今」を切り取ったようなもので、夢二本人は、まさか自分の撮った写真が後世の人間に見られようとは思ってもみなかったことだろう。
なにせお葉の全裸の写真もあるほどだから。
夢二は一般的に画家として有名だが詩人としての評価はどうなのだろうか、こんな風に言っているが。
 
「自分は実は詩(ポエジー)を書こうと思ったのだが、詩では食えないので、詩を絵で書いた」
 
刹那的で悲哀に満ちた夢二の詩は私の心を捉える。
 
二人ゐてさへさびしいものを
一人でゝきく暮の鐘
死んでしまへとなぜつかぬ
 
花をたづねてゆきしまゝ
かへらぬひとのこひしさに
岡にのぼりて名をよべど
幾山河はほのぼのと
ただ山彦のかへりきぬ
 
ふる里の海による波
ゆたゆたといまもなほ
思出の胸にさしよる
ほの青くやはらかき
母の乳房に
頬をよせてきく子守唄
いや遠く遠くなりゆき
涙流れき
 
詩人とは魂の彷徨いを書き写すのか、著者、栗田勇氏の人物評は実に的確で素晴らしく夢二をこう分析する。
 
「うわっつらの偽善的な生活よりも、むしろ汚辱のうちに、なお光る人間の素朴な心情をこそ、夢二は求めつづけたといえるだろう」