愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

エゴン・シーレ 日記と手紙 大久保寛二

 
スペイン風邪島村抱月が死んだのは1918年(大正7年)11月7日。
大山捨松も大正8年2月18日に同じ病で斃れ、全世界では約5000万人が犠牲になり日本でも48万人が命を奪われたとか。
第一次大戦の最中で、その一人にエゴン・シーレも含まれていたわけだが、6か月の子供を身籠っていた妻が死去した3日後のことだった。
 
つまりは新型インフルエンザだが罹患してから死に至るまでの期間が早いのが特徴。
シーレの死は1918年10月31日。
筆マメなシーレは妻の死の前日、母に最後の手紙を書いている。
 
「僕はもう最悪の場合を覚悟しているのです、彼女はずっと呼吸困難におちいっていますから」
 
他の人にも手紙を書いているが、殆どが金の無心や自作絵画の展示、展覧会、または出来栄えの良い物を売って金に替える話しが専らだが、当時のオーストリアにあってはクリムトの死後、シーレがウィーン美術界の首領になっていたらしい。
シーレは28歳で亡くなるが、死の年に書かれた散文詩を読んでみると実に難しい。
 
「僕は最も高潔な人びとのうちでももっとも高潔な人間だ。そして歴史を溯る人々のうちで最も古きに戻る人間だ」
  
「元素に手を触れよ、お前は渇きつつよろめき探らなければならないのだから、お前は跳躍しつつ坐し、走りながら伏し、伏しながら夢見て、夢見のうちに長生するのだ。熱を喰うのは飢えと渇きと嫌気だ、血は組み合わされる」
 
「生命とは精子を飛び散らかす意味だ、生きるとは精子を投げ出す、浪費すること」
 
と、難解な文章が永遠と続く。
著者の分析では。
 
「シーレの場合、詩や詩的な書簡は抒情的性格が弱く、また物語性を持っていない。独白のようにつづられる、「見る人」シーレの眼に写る宇宙の投影であり、かれの自覚の表象でもある」
 
絵画鑑賞というものは解説を読むことによって成程と頷くこともあるが逆に解説を読んだがためて理解に苦しむこともある。
しかしこの本、あまりお薦めとは言い難いが前途ある年若い芸術家が流行り病で妻共々命を落とすとは何とも無念遣る方ないことだ。  
 
 
ポチッ!していただければ嬉しいです ☟