愛に恋

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モーツァルトの死 カール・ベーア

 84年制作でアカデミー作品賞を受賞した『アマデウス』、私はこの映画を観るまでモーツァルトに関しては全く無知で、サリエリなる人物に関しても存在さえ知らず、毒殺説などは考えてもみなかった。
ただ話題作だからということで観に行ったまでのことで、それなりに面白かった。
 
しかし読書となると話は別で、どんな本でも読んで損をしたということはないが、買うべきではなかったというものは確かにある。
勿論、本の側には何ら責任はなく読み手のこちらの知識が問題なのだ。
以前からモーツァルトの死に興味を持っていたので、つい浅はかな下心でナンパしたのが間違いだった。
本書は18世紀医学に関する論文で、ど素人が安易な気持ちで読めるような代物ではない。
 
18世紀後半から19世紀前半のウィーンを中心として医療技術や当時の埋葬に関する法令などが書かれており、読了するのに苦心惨憺。
著者はモーツァルト病死説の側に立って論拠を展開し、出来うる限り残された文献や証言をつぶさに精査し断を下している。
 
まず、モーツァルトは検視解剖はされていない。
病名は聞き慣れない「急性粟粒疹熱」ないしリューマチ性炎症熱」
そもそもモーツァルト毒殺説の発端は1830年プーシキンが書いた戯曲モーツァルトとサリエーリ」に端を発しているらしいがモーツァルトの医師、トーマス:フランツ・クロセットの診たてにはどこにも毒殺を疑わせるような箇所はない。
 
当時のオーストリア・ハンガリー帝国の法令には死を確認する方法がなく、仮死状態での埋葬を防ぐため、死後48時間は遺体安置が義務付けられていたようで、モーツァルトの場合は1791年12月5日に死亡しているので埋葬は7日だったと思われる。
晩年は体調を崩しながら『レクイエム』の完成を目指し、夫人コンスタンツェが散歩がてら宮廷狩猟場に連れ出した時、モーツァルトはこんなことを言っている。
 
「僕にはよく解っているんだ。僕はもう永くないよ。きっと誰かが僕に毒を盛ったんだ! どうしてもそうとしか思えない」
 
彼の毒殺説は死後間もない頃から噂になり、今日でもそれを支持をる人もいるらしいが、話を聞いたコンスタンツェが言いふらしたとも思える。
毒殺説支持者はモーツァルトの死因を水銀中毒だと主張。
本書では病死説の証拠と毒殺説の間違いを専門医学の見地から説いているのだが全く門外漢の私には難解この上ない。
狩猟場での話は10月20日か21日らしいので死期が迫っている。
 
神童モーツァルトは幼少時から演奏旅行で明け暮れ、少なくとも急性関節リューマチを3回は発症して、それが心臓に障害をもたらす原因となったと書かれているが問題なのは瀉血という治療方法。
人体の血液を外部に排出させることで症状の改善を求める治療法の一つで、つまり体内の悪い血を大量に出してしまうことだが、医学的根拠のまったくない治療法で却って出血多量で死を招くことも多々あったらしい。
モーツァルト瀉血を頻繁にされたようで、或はこれが死を早めてしまったのかも知れない。
 
ところで検視調書に「急性粟粒疹熱」と書いたのは家庭医であったクロセットなる医師。
一方、病気の経過に最も詳しいグルデナー博士はリューマチ性炎症熱」であったと証明しているが、私はこれらの病気に対して説明は出来ない。
 
問題とされている埋葬場所の件はどうか。
法令では疫病を恐れるあまり腐敗を早めるため五柱、ないし六柱を纏めて竪穴墓に葬るのが通例で、はっきりした埋葬の所在が分からないのも、当日は悪天候で霊柩馬車には随行者もなく聖マルクス墓地に葬ったが肝心の妻さえ、その正確な場所を知らなかった。
 
妻コンスタンツェがまだ存命であったモーツァルト五十回忌、この時、初めて本格的な調査が行われたが場所を特定するに至らなかった。
つまり埋葬当日、御者と墓堀職人以外、親族や知人は誰も立ち会わず、困窮生活のため葬儀も出来るだけ質素にという思惑が家族側に働いていた。
天才の最期にしては、あまりに淋しい末路だった。
 
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