愛に恋

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安井かずみがいた時代 島崎今日子

 
数多くの逸話を残して55歳の若さで逝った安井かずみの実像を知りたくて、探していた本書をやっと手に入れた。
1965年、26歳で、伊東ゆかりが歌う『おしゃべりな真珠』で第七回日本レコード大賞作詞賞を受賞したとあるが、私はこの歌を知らないばかりか、安井かずみについて知っていることといえば著名な作詞家で加藤和彦の妻、細身でハイセンスな女性ということぐらいしかない。
 
だが、生涯に書いた詩は約4000曲、33冊のエッセイを残し、海外旅行が珍しかった時代に加賀まりこと3か月間もパリ旅行を決行しエスコートしたのがサンローラン、トリュフォーゴダールというから安井は海外でもそんな有名人だったのだろうか。
作家林真理子にとって安井は生涯憧れの対象だったようで、その安井から教わった最も大事なこと、それは、
 
「自分の手で稼いで贅沢をすること」
 
また、新田ジョージなる富豪の男性と、画家バルチュス立ち合いのもとイタリアで結婚したそうだが勿体なくも離婚して帰国してしまった。
恋多き女とはまさに安井のことで「恋人は必需品」と宣言し、世界中に恋人がいたと言うから羨ましい。
世界を股に懸ける女の噂は嘘ではなく、アメリカ議会図書館の日本語コーナーには安井の著書が全作並ぶという誇らしさで、経歴を見ると、当初は画家を目指す傍ら英語、仏語が巧みなことから訳詞家も兼ねていたが以下を見ると驚く。
 
『花はどこへ行った』『ヘイ・ポーラ』『レモンのキッス』『アイドルを探せ』『ドナドナ』など、これら有名な曲の訳詞は安井だったわけだ。
作詞家としては伊東ゆかりの『恋のしずく』が発売開始、一か月で80万枚を売り上げオリコン・シングルチャート初の女性歌手一位を獲得したことで画家は諦め作詞家としてデビュー、その後も安井の歌は次々に売れ、仕事はひっきりなしに舞い込む。
ファッションセンスは一流で咥えタバコにサングラス、オープンカーで仕事場に乗り付けるというから、確かに70年前後にはそんな女性はいなかった。
 
歌詞もセクシーで大人っぽいものが多く、前だけを見て成長していた時代の社会では成熟、大人こそが向かうべき目標であり憧れで、そこが現在のJ・ポップ歌手とは大きく違うところだろう。
 
1966年は日本にとって最もエネルギッシュだった時代だと著者は言う。
東京オリンピックが終わり、高度成長まっしぐらでミニスカートの流行とビートルズの来日、カルチャーシーンが大きく書き換えられたこの年、親友のコシノジュンコは、27歳でブティック『コレット』を北青山にオープン。
 
時を同じくして日本は空前のエレキブーム。
安井もGSに詩を提供し、共に影響しあい、映画、音楽、ファッションの最先端で桁外れの稼ぎと遊びっぷりで、あらゆる有名人に会えるゴーゴークラブで明け方まで踊っていると当時の女性誌には書かれている。
この時代、岩谷時子を別にすれば女性作詞家といえば安井かずみの他にはなく、とても太刀打ちできる相手ではありませんね。
本書を読んで、あの曲もこの曲も作詞は安井だったんだと驚くが、中でも、あのエロティックな辺見マリの『経験』も安井の作詞だったとは初めて知った。
アダモが歌った『雪は降る』の訳詞も安井で、昔はヒット曲といえども作詞者が誰かなんてあまり考えなかったので今更ながらに当時の作詞、作曲者の職業が成り立った時代の実力を思い知る。
 
更に安井の魅力は奔放な性生活を隠さなかったところにあるのかも知れない。
「情事は無数でも恋は3度だけ」という女性週刊誌のインタビューも受けている。
そんな安井が運命の男、加藤和彦と結婚したのが1977年。
加藤の前妻はサディスティック・ミカ・バンドのミカこと福井光子。
 
余談だが、このスーパー・バンドは二人の離婚によって解散したが、もし離婚せずにその後も活動していれば日本屈指のバンドになっていたものを。
尤も安井にとっては棚から落ちたぼた餅で待ってましたと云わんばかりに加藤に近づいていったわけで、その後の二人の生活は当時を知る人には言わずもがなだが、ファッション・リーダー、生活ライフと憧れの夫婦として週刊誌に数多く取り上げられていて、私もその魔力に魅了されていた一人だった。
 
しかし、人生は儚い。
生前、森瑤子は「私と大宅映子と安井かずみはねえ、三人娘なの」と言ってたらしいが、その大宅映子は言う。
 
「和彦さんが亡くなったのは今だに信じられない。ZUZU(安井)も森瑤子も和彦さんも、みんな、先に逝っちゃて失礼しちゃうわ。何が淋しいって、老後、一緒に思い出を語り合う同時代を生きた女友だちがいなくなるってこと。どうしてくれるの、私の老後を」
 
だが、その大宅映子も加賀まりこから「あなたはZUZUというお月さまの裏側しか知らないのよ」と言われ、さらに吉田拓郎は、
 
「ZUZUのほうは、あれだけ愛のこもった詩を書ける人が、人の痛みや悲しみが分からないわけがない。どうしてこんなことが分からない加藤を選ぶのかなって」
 
しかし、それまで、日本のどこにもいなかった「自分の人生の主人公は自分」という概念を持ち込んだ人いう評価もあり、いずれにしても時代の寵児として人々に影響を与え人生を駆け抜けた女性だった。
結婚後は加藤の曲にしか死を書かなかったが、死後、一年を待たずして加藤はオペラ歌手の中丸三千絵と結婚、そのニュースを聞いて私も意外に思ったが安井の関係者からは更に不評を買っていた。
その後の加藤は知っての通り離婚、自殺と思わぬ道を辿って行くが、やはり、心理的安井かずみの早い死が影響していたのだろうか。
余人を以って代え難いとはこのことか。
 
しかし、このように人の人生を結果論として読むと、実に哀しくやるせない。
思えば加藤和彦ばかりではなく、ブルーコメッツ井上忠夫ワイルドワンズ加瀬邦彦も自殺で棺を蓋いて事定まるということか。
因みに井上忠夫の妻も自殺で亡くなっている。
 

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