中でも見せ場は森近衛師団長殺害の場面だが蹶起失敗に終わった15日、畑中少佐は宮城の見える玉砂利の上で自害するが、本書に登場する古賀少佐の自害がどうも記憶にない。
古賀秀正参謀少佐は近衛第一師団所属で東條英樹の次女満喜枝の婿。
8月13日、生後11か月の長男を連れて用賀の東條邸に里帰りしていた満喜枝に会いに、サイドカーに乗って訪れ、これが今生の別れとなった。
「決して軽挙妄動してはならぬぞと言ったら、ハイ! と答えていたから大丈夫だ、心配するな」
以下、東條かつ子の手記
「司令部ですが、閣下に」
主人にかわり、傍で聞いていますと、
「あ、そうですか・・・それはお世話になりました」
と受け答えをしています。古賀が自決したことを知らせる電話だったんです。
主人は電話を置くと「満喜枝」と呼びかけました。
「一時間ばかりしたら秀正が帰って来る。秀正は自決したらしい、満喜枝、いいな、覚悟は出来ているな」
「はい、わかりました。いいですわ、お父様・・・秀正様は永遠に少佐でいらっしゃるんですから、立派な軍人でいらっしゃるんですから・・・」
遺体に対面した親子三人は誰も口を開かず、取り乱した様子もなかったと女中は証言している。
古賀少佐は殺害された森師団長の遺体の横で、腹を十文字にかっさばき、ピストルを口中にあてて撃っていたので遺体は包帯で巻かれ、顔もなにも見えなかったとある。
古賀は14日の玉音放送の録音盤奪取事件に加担していた為、自決に追い込まれてしまった。
しかし、それにしても妻子を残して凄まじい自決!
終戦前後、既に東條家には脅迫状が舞い込むようになっていた。
「東條の直系を皆殺しにしてやる」
「袋叩きにしてやる」
次男輝雄は父に迫っている。
「いったいこれからどうするつもりなんですか、一家自決ではないだろうか」
話を続ける前に英機、かつ子の家系を少し書いておきたい。
英機の父は比較的有名な英徳で陸軍大学を首席で卒業するほど優秀な人材だったが閥外であったため中将止まり。
かつ子の実家は福岡県田川郡で五百年も続く豪族の家柄で大地主。
しかし、かつ子の結婚生活は楽なものじゃなかった。
引き続き大学に通うことを条件に結婚したのだが、朝5時に起きて、13人分の食事の支度、広い家と庭の掃除、山のような洗濯を済ませ、夫の身支度をして大学に通ったとあるが、結局、体力の限界を感じ退学届けを提出。
その後、己の能力のすべてを、夫の将来と東條家に捧げる決心をしたらしい。
大正8年9月23日、陸軍大学を出た東條は35歳、ドイツ・スイスの大使館付武官として単身赴任。
この間、夫婦の往復書簡は実に303通、かつ子から英機に159通、英機からかつ子へは144通と実に筆マメだが、よく知られているように東條はメモ魔であったから、さもありなんと思うが、とにかく一回の手紙が実に長文でこれを読むのも大変。
生活上の一切を事細かく書き、何日何時間もかけて書いていたらしい。
二人の密なる愛情は確かなもので、東條夫婦とはかくなるものかと驚きを持つ。
その英機・かつ子の手紙を私も読まされるわけだが著者は書いている。
長い長い手紙である。このような手紙のやりとりを続けていたのだから、出す方も受け取る方も1日の3分の1くらいは手紙にとらわれていたのではないかと思ってしまう。手紙が特別に長いのは、日記ふうに毎日の出来事を書き綴り、一つの手紙に纏めていたからのようである。それにしても、これほどまでに激しく妻に愛され、尊敬され、健康を心配され、そして留守家族の日常生活の一部始終を知らされては、夫としては嬉しい半面少々うっとおしく重くはなかろうかと、淡泊な私には感じられる。
ところが実に似た者夫婦というか、東條英機は几帳面で、なにもかも把握していなければ納得できないタイプのようで、かつ子からの嵐のような手紙を非常に満足していたことが、英樹の返事のなかから伺える。
事細かに伝えたい妻と、事細かに訊きたい夫、よく出来たものだ。
しかし、この条はなんと解釈したらいい!
どうぞ御身御大切に、運動と早臥とを御注意遊す様極度に婦人の貞操を責むる私を、男の貞操も合理的に是非に行わるる事を理想として居ります私は又何等かの方法の下に清い温かい婦人の友人でも御出来遊ばして落莫たる御旅情の少しにても清くて楽しきものに御なり遊す様にと切に願って居ります。
出張中の性欲は自分で処理して、婦人との関係は清く正しくと言っているのか、或いは現地妻とはあと腐れないようなサッパリとしたものをと解釈すべきか、少しまどろこしい。
ともあれ教養あるかつ子は信頼できる夫婦関係、絶対的な理想的夫婦像を求めていたようだが、かつ子の話好きは有名で、一旦話し始めると二時間、三時間と話し続けて止まることがなく、その長話を東條は「また神武以来が始まった」と敬遠していた。
そんなかつ子を襲った悲劇。
夫の自殺未遂と逮捕、そして処刑。
戦後、東條批判の凄まじい中を7人の子と3人の妻と孫を守り、決して偉ぶることなく質素で合理的な生活態度を貫いたかつ子は91歳の天寿を全う。
現代史に生きる女性としては稀有な生涯を送った人だったと思う。
著者は直接本人に会って取材しているが、かなり東條家に拘りを持っているのか本作を合わせると過去3作品、東條に付いて書いている。
・東條英機の妻・勝子の生涯 1987年
・東條英樹「わが無念」 獄中手記・日米開戦の真実 1991年
・東条英機封印された真実 1995年
そういう私も東條に拘ってか3作品とも読んでしまったが、一体に東條とはどのような人物であったか角度を変えて見る必要性から著者同様に興味の尽きない対象で、東條関連の本は、これからも読むことがあると思う。
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