愛に恋

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四十八人目の男 大佛次郎


晩年の父を偲ばせるものにNHK大河ドラマがある。
日頃、戦争体験の話は元より歴史を語らせたら止まらなかった父だったが昭和39年の大河ドラマが『赤穂浪士』とあって、我が意を得たりとばかり日曜日を楽しみにするようになった。
しかし、古ぼけたアパート、狭苦しい6畳一間で知らぬがままに見ていた子供とて弥が上にもあの重々しい芥川也寸志のテーマ曲を待たずにいられなくなった。
すっかりハマったしまった私に引導を渡すが如く翌年の大河ドラマが『太閤記』と聞いて吉川英治ファンの父にとって我が世の春。
早く好きな事を見つけて欲しいとは親心だが、歴史学者や作家になるならともかく、この道ばかりはさすがに趣味の域を出ない。
そんな父の思惑か否か飯の種にはならない道楽を趣味に今日を生きている。
因果を含めたつもりなのかも知れないが今の私を見たら何と思うか?
 
さて、その赤穂浪士だが日本人の気質に合っているのかこれまで何度となく映画化され、東映大映東宝と年を追って配役が変わりながら今日に続いている。
昔なら吉良上野介役には新藤栄太郎、滝沢修月形龍之介などが有名だろう。
39年の『赤穂浪士』の原作は大佛次郎だが、その大佛さんの『四十八人目の男』という本を見て思いわず手に取った。
討ち入り前に自害した萱野勘平のことかと思ったが、小山田庄左衛門と聞いて興味を引いた。
小山田庄左衛門がどうしたというのだ!
 
本書を読んで痛感したのは小山田庄左衛門の生涯よりは大佛次郎の作家としての資質。
こんなに優れた小説家だったとは思わなかった。
主だった登場人物の心の裡を覗いて来たかのような見事な洞察に頭が下がる。
 
現在、歴史の裁定はどのように下されているのか知らないが昔から刃傷沙汰に及んだ理由がどうも解らない。
映画などで見ると内匠頭は「意趣返し」だと言っている。
それを大目付などは「乱心であろう」と怒鳴っているが、ここは大きな違い。
意趣返しなら切腹は免れず、乱心なら罪一等減じられる場合がある。
そして評決を前に内匠頭は肝心なことを聞かずにいられない。
 
「上野介は如何相成りましたか?」
 
しかし幕府の裁定は御咎めなし。
本来、喧嘩両成敗が原則であるに関わらず内匠頭は即日切腹
これを聞くに及んで国許の藩士たちは激高、籠城だ、城を枕に討ち死にだと収拾がつかない。
それを収め、去って行く者は追わず、吉良側を油断させ時を待つ内蔵助の戦術。
上杉の家臣、千坂兵部を始め見事な駆け引きを展開させるあたり本当に素晴らしい。
家臣をして内蔵助をこう評する。
 
一向肚の中を見せず、ぼんやりしてるように見えるが、怖ろしい人だ。私にも今度それがわかった。
 
一向に動かぬ内蔵助に業を煮やし去って行く者は元より信念薄き者として残った者だけで本懐を遂げる。
これが内蔵助の肚か?
おそらく内蔵助は幕府の裁定にも不服だったと思うが主君内匠頭の短慮にも腹が立っていただろう。
大佛次郎は内蔵助になり替わってこう説く。
 
それだけのことだったら、なるほど、少人数で急いで推参して、白髪首貰うだけでよいのだ。内蔵助が、大学さまお取立てを待つのは、ただ、そのことよりも御公儀の料簡を如何なものか読みたいのだ。万事は、その上のこと。私の睨んでいるのは、高家でもなければ、米沢十五万石だけともいえぬ。天下の御料簡が知りたいのだ。その上で、どう動くかも自ずから定まる。軽くは動けぬ苦しさも、そこだ。ただ、武士の作法どおり敵の命を申受ける分には、何の苦労があろう。
 
忠臣蔵を知らない御仁には少し難しい内蔵助の料簡だが、敢えて註釈は入れずにおくので悪しからず。
断っておくが本書には忠臣蔵の見せ場はまったく登場しない。
つまり、
 
殿中での刃傷沙汰。
内匠頭切腹の場面。
内蔵助と瑤泉院の今生の別れ、または血判書を仏前に備える場面など。
清水一学との対決。
上野介の首級を上げる場面。
 
それでいながら読ませ甲斐のある小説になっている。
内蔵助入府して以来、活発に動く吉良側と赤穂の浪士。
必ず屋敷に在宅のところを襲わねばなぬ赤穂側。
討ち入ったはいいが居なかった、または逃したとあっては天下の物笑い。
万一失敗の場合は。
 
事は仕損じても、赤穂の家臣には、これだけの人数が義を貫くために結束し、敵の屋敷に推参し、武運拙く敗れたが、その場を去らずに枕を揃えて自決した。小さくないこの強い事実が、天下に訴える力を持つ。内蔵助は明らかに、こう信じているのである。
 
素晴らしい、確かにその通り。
ただ、これはひとり内蔵助の考えであって、他の浪士は亡君の恨みを晴らす復讐であればよいと、分けて考えているところが大佛次郎の卓見。
討ち入られた吉良側の死者16名、重症者11名。
内匠頭以下、浪士の墓は泉岳寺にあるが今より遡ること45年程昔、ここを訪れたことがある。
奇遇だが、父より聞いた話によると私の生誕地はこの泉岳寺の近くだったらしい。
何れも昔のことでよく分からぬが。
 
ところで肝心の小山田庄左衛門はどうなったのか?
史実とはやや違う展開になっているが本書では女絡みが要因のようだ。
庄左衛門が考える討ち入りとは、復讐とはという悩みも面白いが、それを書き出したらキリがないので止めておく。
因みに本作は昭和26年に新聞連載されたものとあるのでかなり古いものだ。
 

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