昔、その訃報記事で初めて藤原義江の名を知った。
調べてみると昭和51年3月のことで、大正から昭和にかけて活躍したオペラ歌手だが、何分古い話しで、その日までまったく知らない人だった。直木賞受賞作の本書は以前から知ってはいたが既に絶版でなかなかお目に掛かれなかったものを、古本屋で見つけ、それもたったの100円、何か得した気分で即買い。
しかし300頁余りで藤原義江の一生を語るのは少し短いような気もするが、とにかく本は疾走するように足跡を追う。
スコットランド人のネール・ブロディ・リード(28)という貿易商と琵琶芸者、坂田キク(23)との間に生まれたひとり息子だが幸薄い幼少期を送ったようで定まらぬ住居と学校通いもままならぬまま奉公に出された少年時代。母キクは河竹黙阿弥の歌舞伎時代狂言『明智左馬之助湖水渡』を得意とし義江はそれを子守唄にして育ったせいか早い頃から音曲に親しんだ。藤原徳三郎なる人物の養子となり母親共々、御座敷で歌う混血児としてこき使われたが、成長するにつれて沢田正二郎率いる新国劇の端役として下積みを続け辿り着いた先が浅草六区。
当時はまだ日本に本格的なオペラはなく所謂、浅草オペラとはオペラコミックとでも言うようなものだったが、人間、何が切っ掛けで道が開けるのか分かったものではない。
私生児として生まれた子供が日本オペラ界の幕を開く。1942年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授かったが、混血児で美男子が災いしたか生涯女性問題は絶えなかった。晩年はパーキンソン氏病を患い、嘗ての栄光とは裏腹に病床を訪れる人も少なく、読むほどに人の一生の儚さを思い知った本だった。ところで野口雨情・作詞 中山晋平・作曲のこの名曲『波浮の港』の意外な事実を今回知った。