愛に恋

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パパは楽しい躁うつ病 斉藤由香

今日は記事を書くにあたり記憶に留める意味合いもあって昨日の大地震の事を少し書いておきたい。
ブログの性質上あまり個人的なことは書かない主義なのだが今回は例外ということで。
実は毎日記事を更新してはいるが、ここ半月程前からヘルニアが悪化して歩行困難。
治る見通しも立たず困っているところに持って来て昨朝の大揺れ。
連日、激痛に伴う睡眠不足でちょうど寝起き鼻のタイミングで叩き起こされ、同時に居間の方で何か崩れる音、人生、初の経験とあって実に驚き入り候とでも言うか困惑した。
交通機関が断たれ帰宅困難者であふれ返るとは我が街の事で、当方、まだ生まれてないが73年前の1945年6月8日、大阪空襲以来の現象ではないかと思う。
今日も5時前の余震で起こされ日々3時間ほどの睡眠、全く困ったものだが致し方なし。
そして今これを書いている、気象庁発表では今後も同程度の余震が起こり得るとか。
果てさてこの先どうなることやら。
 
さて本題だが明治以来、三代続く精神科医の家系、どくとるマンボウこと北杜夫さんと娘の由香さんの対談集だが、北さんは躁鬱病で何十年も過ごされたとか。
 
余談だが北さんは昭和2年5月1日生まれで芥川の自殺は同年の7月24日、斉藤茂吉と芥川の交流は夙に有名だが北さんの誕生を知り一回ぐらいは目にして旅だっているのだろうか?
ともあれ北さんの病歴はかなり長期間に渡ったもので由佳さんによると・・・
 
「パパは作家としてはたいしたことはないけれども、躁うつ病を世に広めた功績がある」
 
ということになるらしい。
何しろ躁鬱病が世間に認知されていない頃から誰憚ることなく病名を公表した功績があるとか。
『パパは楽しい躁うつ病』の何が楽しいかと言えば鬱の時は夕方まで起きることなく物静かで平和な家だが躁になると一転はちゃめちゃな生活が展開される。
その様を間近でみていた由佳さんは愉快でたまらなかったと捉えたらよいのか、私自身、この病気のことをあまり理解していないので答えようがないが。
 
しかし、あまりの変貌に確かに驚く。
朝の5時に起きて株の売買。
映画を鑑賞し広沢虎蔵の「清水次郎長」を唸り中国語、英語、短波放送、ベートーベンと同時に流し「バカ、テメエ、この野郎」と怒鳴りまくり自宅を拠点に独立共和国を宣言。
名付けて「マンボウリューベック・セタガヤ・マブゼ共和国」
国旗、勲章、紙幣、コイン、そしてマブゼ・イラストを模したタバコを製造。
 
主席は自身が就任、妻は大蔵大臣、由佳さんは平和大臣。
11月3日を「文華の日」として各賞贈呈式。
競走馬が安楽死されたと聞くや自分も安楽死を願い、ギャンブルに嵌り『徹子の部屋』で「ここでコマーシャルです」と言われると「コマーシャルなんかいいんですよ」と番組が終わっても話し続ける。
 
妻が転んで出血すると救急車が呼び「わざわざ来ていただいてありがとうございます。コカ・コーラキリンレモン、どちらがいいですか」と訊く。
笑っては失礼だが苦笑が洩れる。
確かに『パパは楽しい躁うつ病』というのも頷ける。
 
キャンブル、株で北家は破産するが救いは家族との会話か奥さんとは始終、金の問題で大喧嘩しながらも軽井沢旅行は欠かせない。
北さんは言う。
 
「蝉の雄は幸せなるかな、なぜならば声なき雌を有すればなり」
 
「いずれにせよ、人間は“矛盾の束”である。完璧な人間などいないのだから、いい加減に生きるのがうつ病にならないコツだと、私は思う」
 
84年の生涯、倖せとはどういう尺度を持ってして言うのか分からないが北さんの場合、痛快な人生だったのだろうか。
どちらにしても娘さんをして『パパは楽しい躁うつ病』と言わしめているのだから、その意見に従いたい。