愛に恋

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安政の大獄 - 井伊直弼と長野主膳 松岡英夫

 
いつの時代でも宰相暗殺は驚天動地だろうが大老暗殺は当時の幕閣をどれだけ驚愕させたか!。
それも登城中の桜田門外で。
本書は殆ど安政年間の問題で尊王、佐幕、攘夷、開国と複雑にして猫の目のように変わる政局を捉えて面白い。
 
ペリー来航時の筆頭老中は阿部伊勢守正弘、その後、新たに登用された堀田備中守正睦が老中首座に就く。 
その間、世情を揺るがす大問題は条約勅許と将軍継嗣問題。
嘉永六年(1853)から安政五年(1858)まで継嗣問題は一橋派と紀州派の間で決着がつかず大奥、朝廷、雄藩を巻き込んで揉め続ける。
条約問題は遅延に苛立ちを募らせるハリスに押し切られ、勅許を求めたことに端を発して大混乱になった。
 
外交の大権は幕府にあり旧来どおり朝廷には事後報告でよかったものを、今回に限り天皇にお伺いを立て許しを請う手段に出たのが災いの種。
当然、承認されて然るべきところ、勅許が降りず幕府の権威も落ちる。
政局は江戸から京に移り血生臭い動乱も始まる。
 
直弼の大老就任は安政五年四月二十三日。
大老の手足となって京都で辣腕を振るったのが長野主膳関白九条尚忠(ひさただ)と相計り、反条約派の公家たちを一掃しようと巻き返しに出る。
時期将軍も直弼の強い意志で紀州に決まり条約調印後、公家から下級武士に至るまでの反対派を根こそぎ弾圧。
 
安政の大獄が始まる。
一橋派の有為な人材を悉く処断。
幕政の威力を全国に知らしめた結果の直弼暗殺だった。
長野主膳始め大老派の主だったものは捕えられ処刑、または暗殺、攻守所を変え役者も入れ替わる。
舞台も水戸、江戸、京都から京都、長州、薩摩、会津と変遷していくあたりは幕末史の醍醐味だろう。
 
「国は一人を以って興り、一人を以って滅ぶ」
 
という言葉があるらしいが大老の出現が無ければ安政の大獄もなかった。
あたら有為な人材を死に追い遣った責任は大きい。
しかし、今となれば攘夷などは現実離れした話で大獄はともかく開国へと舵を切った直弼の判断は正しかった
水戸斉昭の言う外国船打ち払い令などは全く現状認識に欠けるもので妄言というしかない。
ただ、開国派、攘夷派共に一致しているのは清国の二の前にだけはなりたくないという点だろう。
 

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