愛に恋

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花笑み・天上の花 萩原葉子

 
当然のことながら昭和30年代から40年代にかけて明治生まれの著名人が多く亡くなっていった。
遠く日清戦争を子供ながらに記憶している世代の方々だ。
私にとっては幼少期から少年期に移行していくこの時代、ただ、若さだけが売り物の、盆暗少年に過ぎず、文学事始めは昭和44年、私が風疹で寝込んでからの話し。
まあ、当たり前のことだが谷崎が亡くなった昭和40年、谷崎の「た」の字も知らず蝉やトンボを追い回していた何処にでも居る悪戯坊主だった。
 
何故か父は戦争、映画、歴史の話しはするが文学に関してついぞ触れたことがなく、
歴史的大事件を父から聞いたのも後にも先にも二回だけ。
社会党の浅沼委員長刺殺事件」ケネディ暗殺」、しかし、当時の私はこの両者が誰なのかも知らなかった。
そう、子供過ぎたのだ。
 
前置きが長くなったが本書の著者萩原葉子とは朔太郎の長女。
本書が新潮社から刊行されたのは『花笑み』が昭和42年6月、『天上の花』41年6月とかなり古い。
以前から講談社文藝文庫の『天上の花』を探していたが、意外にも先日立ち寄った京都の古本屋に『花笑み・天上の花』の新潮版があったので購入したが、まさか新潮文庫があるとは知らなかった。
目次はこのようになっている。
 
女客
花笑み
貸室
手術前後
 
天上の花ー三好達治
 
上の4編は自伝的小説で『女客』は父朔太郎と離婚した母恋しさに25年ぶりに居所を知った葉子が札幌に出向き体面するという話しだが、実母は17歳も年下の男と再婚しており、突然現れた娘をあまり歓迎していない様子が書かれている。
 
『花笑み』は、それから8年後、母親夫婦が上京し、その1年後に二人は離婚、そして実母と妹の女三人暮しが始まるが、既に作家活動に入っていた葉子とは折り合いが悪く感情的な軋轢を活写。
 
『貸室』は下宿屋を始める話しで『手術前後』は子宮筋腫で入院するという短編だが、問題なのは『天上の花ー三好達治抄』、これが一番読みたかった。
前置きとして余分なことを書いたのは朔太郎の文壇的系譜に触れたかった為で少し簡単に纏めておく。
 
朔太郎の友人、佐藤春夫が無くなったのは昭和39年5月6日。
弟子、三好達治は39年4月5日。
親友、室生犀星は37年3月26日。
妹婿、佐藤惣之助は17年5月15日で義兄朔太郎の4日後という早さだった。
因みに友人だった谷崎は40年7月30日で私がもう10年早く生まれていれば三好、室生、谷崎の死などを何と思っただろうかという感慨から書いたまでのこと。
 
話しを本題に戻す、佐藤惣之助は先妻と死別した後、同年に朔太郎の妹愛子と再婚、愛子は3度目の結婚だが、愛子(小説では慶子)にプロポーズしたのは三好が先で朔太郎の両親は貧乏書生なんかに娘はやれぬと大反対。
結局、惣之助が昭和8年に愛子を娶り、その後、古賀政男と組んで次々にヒット曲を飛ばす流行作家となった。
『赤城の子守歌』『男の純情』『すみだ川』『湖畔の宿』などは惣之助の作になる。
 
                       
                                                               アイ(慶子)
 
しかし、既に昭和4年、朔太郎夫婦は離婚、子供二人を朔太郎が引き取り、その世話などを後にしていたのが唯一の内弟子だった三好達治ということになるらしい。
運命の歯車が狂いだし、8歳で両親が離婚した葉子姉妹は朔太郎と共に前橋の祖父母の家に移るが17年に朔太郎が死去。
葬儀の日、三好は10数年ぶりに愛子と対面。
当時、三好は佐藤春夫の姪と所帯を持って二児の父。
 
前述したように惣之助は4日後に亡くなるわけだが遺言状では妻の遺産分配は現在住んでいる家だけ、著作権、印税、貯金、果ては愛子のへそくりまで全て老母に残すとなっていた。
その後、小説は一転し以下の章になる。
 
逃避行ー慶子の手記
三国行き 昭和十九年五月
 
三国とは福井県三国で、ここからは慶子の告白体形式をとって書かれている。
三好は離婚し、昔から思いを寄せていた慶子を口説き三国の疎開先へ来て欲しいと再三懇願、その熱意にほだされて遺産分与で絶望した慶子は三国行きを決意。
三好にとっては15年ぶりに思いが叶ったわけだ。
問題はその後で!
あれほど慕われたので同棲を初めてみると意外なことが待っていた。
三好は今でいうDVのような性格で事あるごとに慶子を引っ叩く。
慶子には魚しか食わせず貧乏の中にも別れた妻子に仕送りをする三好。
慶子も反論する。
 
「私を泥棒か、化け猫ぐらいに思っているのですか」
 
今更ながらに優しかった惣之助と比較して、こんな痩せ馬に頼って来たのが、失敗だったと後悔するが三好は飽く迄も別れようとしない。
ある時はこんな口喧嘩が。
 
「することがめちゃくちゃだ!孔子の言葉に沢庵の切れ目は正確に切れとあるのを貴女は知っていますか?
 
「そんなことを知ってどうなるもんですか?食べられればそれで良いじゃありませんか?」
 
「食べられれば良いとは何と投げやりなことを言う人ですか!」
 
「悔しかったら自分で正確に切ってごらんなさいよ!」
 
時に喧嘩が度を増し!
 
「こんな監禁された生活では、生ける屍ではありませんか。あなたと別れたいのです。こんな生活はもう一日も続けているのは嫌です」
 
と、言い終わらないうちに三好は髪の毛を引っ張り、二回から引きずり下ろされ荷物のように足蹴にされ踏まれ後頭部と目から血が噴き出した。
三国に来てから10ヵ月、慶子は地獄のような毎日を送り三好の卑劣さ、身勝手さを厭というほど知らされたとある。
しかし、著者の萩原葉子にとって三好は父の弟子として、文壇の先輩として唯一頼れる存在で、葉子そのものは三好に対し非難がましいことは一言も触れていない。
 
『天上の花』は昭和41年の芥川賞候補になったが内容が物議をかもした。
本作は三好の死後書かれているので本人に確かめようがないが、ここに書かれている三好像は真実なのか?
当時の選考委員の意見をみると!
 
三好達治という吾々の知人を実名で書いているので、選者の大部分は興味ふかく読んでいるが、その興味は作品の出来不出来とは別のものだと私は思う。そこを厳密に区別したかった。」「私はいわゆる実名小説なるものに作者としての不純なものを感じる。」(石川達三)

「現実に対応するところがあると見える叙述の中に、いくぶんは現実からずれているらしい「手記」と称するものを、いわば澄ました顔で、ちょこなんと差込んだ細工がどうも気になる。技術のことではない。作者の素質に関係するもののようである。」(石川淳)

「読んで面白いことでは今回の候補作のなかでは抜群ですが、小説といえるかどうかに疑いがあり、芥川賞の性質上、これを小説として読もうとすると、いくたの無理がでてきます。」「つまりそれは僕等の持っている小説の概念を拡張するだけの魅力がこの作品にないということ」(中村光夫
 
確かに興味深い本だった。
しかし、私は三好達治はこのような人物だったと断定に至る資料もなければ知識もない。
一概にこれを鵜呑みにしていいものかどうか判断し兼ねる。
随分と長々と書いてしまったが、最後に萩原葉子出版記念パーティが開かれた時のこと。
錚々たる顔ぶれが集まり出席した三好は長年、葉子が欲しがっていた朔太郎の色紙をプレゼントする。
朔太郎の家は空襲で全焼し遺品らしきものが何も無かった。
そこにはこのように書かれていた。
 
ところも知らぬ山里に
さも白く咲きてゐたる
おだまきの花
 

 

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