或売笑婦の話 大正9年4月
蒼白い月 7月
復讐 10年5月
お品とお島の立場 12年5月
ファイアガン 11月
車掌夫婦の死 13年4月
風呂桶 8月
挿話 14年1月
客 6月
以上七編の短編小説集で震災を挟んで全て50代の時の作品。
記憶に残る物としては『或売笑婦の話』『ファイアガン』『車掌夫婦の死』ぐらいか。
『或売笑婦の話』は遊郭に登楼した大学生と遊女の話しで、身の上話しを聞くうち同情した学生が母親に頼み込んで遊女の借金を全額肩代わりして持って来たが、遊女はそれを受け取らず、ほんの少しだけ戴いて学生を帰す。
ある日、学生は郷里の千葉へ帰ることになる。
暫くするうちに遊女は、学生の事が忘れられず、休暇を貰って千葉に学生を訪ねる。
学生の家に泊まるわけにもいかず近くの宿を予約して二人、海岸沿いの船着場近くの浜辺で腰を下ろし座って話し込んでいると、船が一艘着岸して数人の客が降りて来る。
すると学生は、そのうち一人の初老の人物を指して「あれが父親だよ」と云う。
しかし、遊女は先ほどからその男性をジッと凝視、男性はこちらに気が付かなかったが遊女はしっかりと認識した。
あの男はたまに私を指名してやって来る客だということを。
その日、学生と別れた遊女は宿には帰らず黙って帰京していった。
と、ただこれだけの話しなのだが、大正時代の短編小説を読んだことがある人なら一度ならず経験しているはずの、「えっ、これで終わり!」という話しが多い。
大正の昔だから通用したものの、今の世ならこれで完結といえるか、または作品といえるか疑わしいものもありや無しや。
さらに岩波文庫は作家の書いた原稿を忠実に再現しているので漢字は勿論、旧漢字、改行に至っても原稿通り。
現在の文庫は字も大きくページの字数も少ないが岩波は頑なにそれらのことを拒否し旧来の伝統を守り抜くような会社なので、それらの毅然として方針がファンに受けるのかも知れない。
しかし、読み辛い漢字もかなち多く出て来る。
例えば!
「淺果敢」はおそらく浅はかと読むのだろう。
「砲下した」 これで、ほったらかしたと読む。
「體裁」 これは読めますよね、体裁です。
これはどうか!
「この桶は幾年保つだらう」
この場合の保つは「たもつ」とは読まずおそらく「持つだろう」と読ませると思う。
「何處でも介意ません」
これは「どこでも構いません」と読む。
「袋を弄っていた」
現代では「弄ぶ」は「もてあそぶ」と読ませることが多いが上の場合は「袋をいじっていた」が正しい。
「お絹は聊か非をつけるやうに言って」
この場合の「非」は難しいですね。
これで「けち」と読ませ「けちをつける」となる。