週刊文集の記者で、日々の高峰を観察し敬慕の念を持って書かれた本だが、全体的には過去の栄光には焦点を当てず、高峰の負の連鎖とも言える家庭環境と、その颯爽とした人間性を間近で捉えた作品とでも言うべき本だ。
何でも高峰秀子の実母は彼女が僅か4歳の時に死亡し、その翌日、叔母の志げなる女性に強引に引き取られ養女にされたらしい。
叔母とは実父の妹だが、以来、約半世紀、女優業で稼いだ金を家族にむしり取られる生涯を送ったとある。
高峰が子役として映画に出るようになったのは5歳の時。
志げの夫が蒲田の撮影所を見学に行った折り、たまたま映画『母』の子役オーディションの最中、背中におんぶされていた高峰が目に留まったというわけで、以来、30歳になる頃には約150本もの映画に出演し、その金で家族十数人を養っていたようだ。
高峰家は子沢山で兄弟や異母兄弟などの家計を秀子が支え、本人はと言えば養女にも女優にもなりたくてなったわけではないと断言している。
全ては強欲な志げの為に働いたようなもので高峰は終生、志げを憎んでいたらしいが、その割にはかなり高潔な人格者として成長している。
読み書きも出来ないまま映画界に入ってしまったわけで、後年、著名な文筆家として大成するまでにはかなり努力したのだろう。
一読する限り、高峰秀子には物事を見抜く力があり、洞察力に長けた女性だったように思う。
私とは親子ほどの年齢差があるが、個人的には最も苦手の部類に入るタイプだ。
実の母だったら怒られてばかりいただろう。
司馬遼太郎はこんなことを言っている。
「どのように教育したら高峰さんみたいな人が出来るんだろうな」
とにかく好き嫌いがはっきりしている。
無類の潔癖。
事に挑んで物怖じしない。
過去の栄光に頼らない。
病院には行かない。
友達は居ない。
テレビを見ない。
言いたいことは、はっきり言う。
引退してからの彼女を見ていると、まるで夫と水割りとタバコと本さえあれば生きて行けると云わんばかりだ。
結局、あれほど数多くの名作に出演しながら、その作品、監督、俳優の話しなどはまるで出てこなかった。
普通のおばさんになりたかったのだろうか?
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