愛に恋

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犬たちの明治維新 ポチの誕生 仁科邦男

 
元より予想はしていたが膨大な参考文献の資料の引用などもあってかなり難しい本だ。
民俗学ならぬ犬俗学とでも言うような幕末以降、太平洋戦争に至るまでの犬たちが辿った悲劇を扱った本で知らないことずくめで勉強になった。
 
そもそも犬は江戸時代、ペットとして飼う習慣がなく、昔から里犬(町犬・村犬)として地域の中で自適に暮らしていたもの、ましてや名前などはない。
当然、犬には価格はなく犬は単なる野犬でしかなかった。
タイトルの『犬たちの明治維新』とは何を表しているのかと言えば、純粋な日本犬の絶滅を意味しているので、一部、秋田犬、甲斐犬紀州犬、柴犬、四国犬北海道犬を除いて本来の和犬は全て絶滅したことになるらしい。
 
つまり、西洋人が連れて来た洋犬との交わりによって消え去る運命を辿った。
しかし面白いのは幕末、日本人にとって初めて見る西洋人は、犬にとっても初対面の相手で、横浜にやって来た多くの異人は、その著書の中で必ず和犬について書き残している。
だいたいに於いて似通った感想を述べているが曰く。
 
「武士を除けば、都会において厄介なのは犬だった」
 
犬は西洋人と見るや歯を剥きだしにして吠えまくり自分たちのテリトリーから出て行くまで必要に着いてくると。
しかし、その犬たちにとっての大敵は侍でもあり、酔った勢いで斬ることは頻繁にあり、傷ついた犬の目撃談も多く滞在記に書かれている。
 
実は私、西洋人が持ち込んだ犬のことを日本人はみな「ポチ」と呼んでいたとこれまで思っていたが、そうではないらしい。
正解は「カメ」である。
彼等が犬に向かって呼ぶ「Come here」が日本人には「カメや」と聞こえ、以来、洋犬はみな「カメ」と呼ばれるようになり、これが全国に広まっていった。
 
因みにペリー来航時、将軍家は米大統領とペリー提督に狆(チン)なる犬を献上したそうだが、こればかりは座敷犬で大変珍重されたそうで、以降、西洋ではちょっとしたジャパニーズ・ドッグ・ブームがあった。
そのお目当ては勿論、雑種犬ではなく狆だが目撃者の感想にはこうある。
 
「顔はまったく見られたものではない。目はどれもまるで、頭から飛び出しているようにひどく突き出している。額が張り出し、鼻はきわめて小さいので顔から突起しているというよりも、むしろ落ち込んでいるような恰好である」
 
来日した外国人の殆どがこの犬を探したとあるから、よほどの高値が付き売買されたものと思われる。
しかし、それとは反対に里犬の運命は悲惨であった。
明治六年に制定された「畜犬規則」により名札を付けてない犬は見つけ次第、撲殺。難しいのは名札を付けていても普段は放し飼いのため多くの犬が悲惨な結末を辿った。
 
これが和犬の激減に繋がり、戦時中、鉄や銅の供出以外に犬の供出も全国的に行われる。
無数の犬たちが撲殺され化成工場に運ばれ毛皮と姿を変えて兵士に配られていった歴史は今日、あまり伝わっていない。
特に鹿児島では根こそぎ供出されたとあるから犬にとっては闇黒な時代の到来だった。
 
最後に「ポチ」の由来だが著者はあらゆる文献を読み、その語源を探ったようだが、結果的に結論を得るには至らなかった。
しかし、開国以来終戦まで犬の歴史を斯くも見事に書き上げた本はまず他にないであろう。
お見事でした。
 

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