昔から思っていることだが、もし、宮沢賢治に天才性を認めるとしたら、彼の小説のネーミングにあると思うのだがどうだろう。
中でも私は『銀河鉄道の夜』のファンで、思えば小学校の五年のある日、小さな本の中に滝平二郎さんの切り絵で初めて『銀河鉄道の夜』を知り、これこそ私が思い描いていた理想の世界などと幼い胸をときめかせたものだった。
銀河の夜空を走る電車、そのメルヘンチックな世界をいつまでも魅入る私だったが。
しかし、この小説の映画化は到底無理だと思っていたら、あれは何年のことだったか猫を主役にアニメ版で映像化されると聞いて、日頃、まずアニメを観ることのない私も早速鑑賞に至った次第。
全編を通して静寂と闇の中で物語は進行していくが、これがもし実写版だったら観に行くことはなかったろうと今でも思っている。
「カンパネルラ、僕たち、どこもでも一緒に行こうと言ったじゃないか!」
いつまでも忘れられない台詞だ。
余談が長くなったが、今回の映画は通常のアニメ版とは違い、正直、夢想だにしなかった画法で描かれた傑作だろう。
まるで、製作、脚本、総監督、ゴッホと云わんばかりの構成になっている。
技法もさることながら、人が思考の時に見せる一瞬の動作など微に入り細を穿って実にきめ細かく描かれている。
映画も遂にここまで来たかと驚嘆する。
しかし、この手法ならモジリアニのような人物像しか描かなかった画家は別として、風景画、肖像画、自画像などを描いている画家なら同じような映画が作れるということだろうか?
普通、銃で自殺する場合、大抵は即死を狙い頭を撃つ、或るいは銃を咥えて撃鉄を引く、この方法が無難な死に方だが腹を撃つなど聞いたことがない。
どうも解せぬ!
一説には少年に撃たれたという話しも聞くが、いずれにせよ天才ゴッホの死に纏わる真実が解明されることはあるまい。
とまれ、この映画は一見の価値がある。
日本人にはとかくゴッホ・ファンが多いので普段より客は多かった。
ただし、あまり背景の絵に見惚れていると字幕が追えないのが難点。
筆使いがゴッホ並みなので絵画全体像を見たくなるのも頷けるが!