私には長谷川一夫に対して以前から三つの疑問があった。
戦前、何かの諍いで長谷川一夫は頬を剃刀で斬られているが理由はなんだったのか。
ただ、それを知りたいがために読んだような本だったが実情はそんな甘い内容のものではなかった。
確かに上の三つの疑問は解けた。
がしかし、元々、歌舞伎上がりの長谷川一夫は出世と共に会社、スタッフ、脚本家
共演者とずらり一流どころが出揃い、芸事百般、和芸、当代随一の人と仕事上の交流を紐解かれては門外漢の私には手も足も出ない有様で疲労困憊。
何しろ歌舞伎俳優は何代目尾上菊五郎なんて言われてもさっぱり解らず、無数の登場人物と無数の演目。
これでは素人の私はお手上げ状態だ。
それでも歯を食い縛って読むしかない。
尚且つ、今から本題の読書感想文を書かなければいけない。
何の因果でこんなことをやっているのやら・・・・(汗
当時、一夫はまだ5歳。
時代は目玉の松ちゃんこと尾上松之助の全盛期。
以来、変転を経て大阪の成駒屋初代中村雁治郎の下に預けられたのが10歳の時。
入門先は雁治郎の長男、林長三郎。
芸名は林長丸となった。
林長丸となって歌舞伎の稽古に精進する中、飛び込んで来た話しが松竹社長からの
「キネマの話し」
師匠の雁治郎の話しでは「兵隊検査まで」というのが条件だった。
当時、映画俳優は歌舞伎役者に比べ格下と言われていただけに長丸のショックも大きかったようだが師匠の命令とあっては致し方ない。
ところで私も知らなかったが林長二郎のクローズアップは全て左向きで、その謂れは斯くのごとき。
大正6年7月14日に「活動写真興行取締規則」なるものが発令された。
それによると、映画館の客席は男女別にされ夫人席はスクリーンに向かって左席。
であるからして天下の二枚目、林長二郎のクローズアップは左向きであらねばならぬというわけである。
左向きからの流し目に女性が見惚れたのだろうか。
事態が動きだすのは昭和10年2月、雁治郎逝去の時からである。
殆ど財産を残さなかった雁治郎を見て林長二郎は松竹への不信感を抱くようになる。
今や松竹のドル箱スターになった長二郎をこのまま映画スターとして抱え、歌舞伎の世界には戻さないという会社側の考えに一層不満を募らせる長二郎。
囁かれていた中村雀右衛門、中村雁治郎襲名の話しもすべて夢と消える。
第一、給料の額からしてそぐわない。
1000円、そして林長二郎は200円。
空前の大ヒットとなった『雪之丞変化』で潤った松竹だったのにである。
知らなかった。
怒ったのは無論、松竹と中村一門である。
「芸名返還通告文」というのを送りつけて来た。
宛名は本名の長谷川一夫殿である。
今般、貴殿が、多年、貴殿の育成し今日あるを致し下されたる大恩ある松竹に対して何等言ふ可べき理由もなく離反し、東宝の傘下に走せ加はりたる行動に対して、深甚なる考慮を求める。
茲に劇界廓清浄化の為、又、亡父雁治郎門下、一同の面目のため、拙者は師匠として貴殿を破門すると共に、林長二郎の名の返上を求めるものである。
これで第一の疑問の謎が解けたわけだ。
長谷川一夫は本名だったんですね!
さてと、話しはまだ続く。
東宝第一回作品は『源九郎義経』と決まり、そして問題の11月12日、撮影を終え、化粧を落とした長谷川は護衛と付き人を連れての帰宅途中、時間は6時になろうとしていた頃、戸の鍵を開けようとしたその時、後ろから声を掛けられた。
「林さん」
と振り返る間もなく頬に激痛が走る。
左目の下から一文字に切りおろされた。
自慢の左頬を切られたのである。
凶器は安全剃刀を二枚重ねにしたもので一見して素人の犯行ではないことを伺わせていた。
傷口がざくろの様に開くことを想定しての犯行で場合によっては役者生命を絶たれる程の重症になった。
痛々しい当時の写真がある。
それを伝える京都日出新聞記事。
映画人風脱兎の怪漢
左頬をさっと一抉り
東宝京都撮影所前の兇行
そして11月25日、警察に召喚されたのは何と当時松竹系新興キネマ常務取締役の永田雅一だった。
松竹から永田に1000円という金が渡り、この本に拠ると永田はその昔、千本組という裏社会との繋がりがあり、永田と一緒に逮捕された松竹の用心棒から、
「長二郎問題は私がなんとかしましょうか」
と持ち掛けられたとあるが。
下手人は中島こと金成漢なる人物。
つまり松竹、永田らが仕組んだ林を東宝へ引き抜かれたことへの意趣返しということになるわけだ。
これで第二の謎も理解出来た。
長谷川は東宝で10年世話になった後、『新演技座』を自ら旗揚げして独立すし念願だった舞台に復活。
松竹歌舞伎ではなく、東宝歌舞伎で。
しかし、膨大な負債を抱えて昭和27年解散に追い込まれる。
結局、この二人は先の恩讐を超え相携えて戦後映画の黄金期を支えたわけだが、奇妙なことに二人は死ぬまで事件のことは一切話し合わなかったらしい。
ところで、長谷川一夫が36年君臨した映画界から退いたのは昭和38年。
聞くところによるとNHKスタッフは是が非でも長谷川さんにと懇願したらしい。
最後に第三の疑問。
芸道36年、常に一流を目指し精進してきた長谷川一夫。
そして国民栄誉賞に。
追伸
今回も長文駄文失礼しました。
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