大杉38歳、野枝は28歳という短い生涯だった。
現在、二人の名がどれほど認知されているか知らないが、私が彼らの名に初めて出会ったのは、おそらく昭和47年頃ではないかと記憶する。
その後、一連の真相に興味を持ち、下手人とされる甘粕憲兵大尉に関する文献なども読んだが、未だ謎の残る事件だけに、いつまで経っても興味が尽きない事案だ。
最近、遺児となった4女ルイズに直接取材を申し込んで上梓されたものが存在すると知って、いつか読んでみたいと思っていた矢先、先日、立ち寄った古書市で偶然、目に留まったので歓び勇んで購入した。
発行は昭和60年3月15日、1年半に亘りルイズを取材したもので30年以上も前の本になる。
ところで、単なる奇遇だと思うがウチの父と大杉は同じ名前を命名されている。
更に有名な日影茶屋事件は大正5年11月9日と父が生まれる2週間前のことで何やら意味深な感じがする。
果ては大杉夫婦と共に殺害された甥の橘宗一少年は父と同年生まれ。
それはともかく、この本には是非とも家系図を載せてほしかった。
大杉、野枝の係累は非常な子沢山で、野枝の母ウメは6人の子供に恵まれ、野枝自身も10年の間に7人の子を生んでいる。
栄は大杉家の長男で下に3人の弟と5人の妹がおり、共に殺害された宗一少年は大杉の妹、橘あやめの一人息子になる。
話しが煩雑になるので少し野枝の子供を整理して書く。
大杉との間には1男4女が居るが出生地が全員違う。
2人は国家による庇護は一切求めぬという無政府主義者の立場から婚姻関係にはなく、大杉との間に出来た子供は全員、私生児。
因みにルイズは大正11年6月7日生まれなので両親の記憶は全くない。
5人の子供は親の死後、全員改名され、ネストルは栄、長女魔子は真子、次女エマは幸子、三女もまたエマだが笑子に、四女ルイズは留意子。
本作が求めるところは事件の真相ではなく遺された遺児たちのその後で、紙数を多く裂いた長女真子とルイズに関しては幸多い人生だったとは言えず、ルイズは4人の子供を抱えギャンブル好きの夫が作った借金の返済に明け暮れる一生で、付き纏う主義者大杉、野枝の子供というレッテルからは生涯逃れられず悩み多い人生だったようだ。
鑑定書は明らかに甘粕らの証言とは食い違い、死因は3人とも扼殺だが肋骨などは複雑骨折で直前に相当な暴力を受けたようだ。
結局、甘粕は真相を明かさぬまま終戦時に自決。
時代背景もあるが、このような歴史的大事件の遺児として生きなければならなかったことの辛さを作者はどうしても書きたかったのだろう。
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