愛に恋

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おばあさん 獅子文六

 
二番煎じ、便乗商法と言っては少し言い過ぎだが、まさかちくま文庫で好評を得ていた獅子文六作品を朝日文庫でも復刊するとは思ってもみなかった。
二刊同時発売だったので、差し当たりページ数の長い『おばあさん』の方から読むことにしたのだが、これが面白い。
ちくま文庫版の文六作品は計八巻読んだが、私の中では最高傑作。
実に会話の妙を得ているというか人間の心理を衝いて笑いを誘うことの多い作品だった。
改めて獅子文六という人の才能を見直した。
 
作品は昭和17年から19年までの間、『主婦之友』に連載されたもので内容的にも昭和16年に限った話しとなっている。
おばあさんと言ってもまだ69歳の未亡人の話し。
三男一女と孫たちの厄介話しを快刀乱麻のように処理していくストーリーが痛快至極。
おばあさんが結婚したのは明治24年、嫁ぎ先は旧藩時代の家老で維新後は某伯爵家の家令、家風厳格な家だった。
 
武家の妻としての嗜みを心得、行く先々での会話、行い、説教など随所に面白味がこぼれている。
例えばこんな場面。
 
おばあさんなぞは、どんな満員の電車に乗っても、席がないということはない。
誰かが譲ってくれる。
尤も、おばあさんの経験では、期待を順に表しては、いけないそうである。
誰か親切な人は、席をゆずってくれそうなものだ、などと仮にも思っていたら、不思議と、誰も、席を譲らぬそうである。
無念夢想で、ヨロヨロしていれば、必ず、座席にアリつくものだそうで。
「さ、どうぞ・・・」
 
また、孫娘の婿候補をこう観察する。
 
おばあさんは、ふと、その時、何か欠けていると思った恒夫の正体に、朧ろげに、触れたような気がした。頭脳がよくて、行儀がよくて、温順で、勤勉で、申分のない男と思いながら、海苔巻きの芯に干瓢が入っていないような、物足りなさを感じた理由が、そろそろ、分かってきた。
 
「海苔巻きの芯に干瓢が入っていないような」の譬えが素晴らしい!
また、婿の浮気に対してはこんな風に娘を諭す。
 
そうとも、そう思うのが、一番なんだよ。
亭主が道楽をするのも、子供が風邪をひくのも、みんな自分から出たことだと、思うんだよ。一切合切、自分で、背負い込むんだよ。女の力の見せどころだよ。
 
なるほどね!
さらに、日本人がよく使う「やれやれ」については・
 
おばあさんに限らず、日本人が歳をとると「やれやれ」という不思議な言葉を、よく口にする。こんな言葉は、外国語に翻訳するのが、困難であろう。疲労の意味も、悲観の意味も、反対に、満足の意味さえも使い方ひとつで、表われてくるのだから厄介である。
 
ところで、この時代の本などを読んでいて気が付くことが一つある。
会話の語尾、多くは子供の場合が多いが「~てらァ」という言葉をよく使っている。
例えば「〇〇してらァ」という具合に。
現在では殆ど死後だが戦前の子供達はこんな風な会話をしていたのだろう。
しかし、私の子供時分にはもう廃っていたと思うのだが。
 
まあ、それはともかく、獅子文六という小説家は人を見抜く力に長けていた作家だったのだと一読して改めて思うようになった。
おばあちゃんと対面していると全てに於いて達観しているようで、何事にも頼りになるが、どこか怖い存在でもある。
維新後、間もない時期に生まれた武家の娘とは斯くありたりということか。
古き佳き時代の日本人なのかも知れない。
 
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