愛に恋

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快傑ハリマオを追いかけて 二宮善宏

 
 
昭和の30年代、日本のテレビ界は専らアメリカ制作のテレビ映画に頼っていたが、喜んだのは父である。
洋画好きの父は、まるでテレビっ子のように夢中になり、解説付きでいろいろ私に話しかける。
35年頃になると、広告代理店の宣弘社なる会社が国産初のテレビ映画を製作、それが、世に名高い『月光仮面』で、以後、宣弘社の制作映画は快進撃を続け『流星王子』『豹(ジャガー)の眼』、そして『快傑ハリマオ』更に『隠密剣士』と当時を生きた、元子供たちを熱狂させるに充分な威力があった。
長い間、娯楽の王様は映画だったが、テレビ時代の幕開けに伴い、その第一期生とでも言うべき世代が私らということになるのか。
 
そもそも映画界ではテレビのことを電気紙芝居と揶揄しており、大映永田雅一主導によって五社協定が結ばれ、テレビ放送へは、一切の劇映画を提供しないという取り組みがなされ、それ故にアメリカ映画の輸入に頼らざる得なかったテレビ界。
この当時、私が記憶している国産テレビ映画といえば他に『少年ジェット』『矢車剣之助』だが、この本によると、当時はまだテレビの普及率が23・1%とあるので、我が家は比較的早い時期にテレビを購入したことになる。
 
さて、本題だが、快傑ハリマオの第一回放送は昭和35年4月5日午後7時半、  38年6月から再放送もされている。
私の場合、35年なら東京、38年なら名古屋に転居しているので果たしてどちらで見ていたのか、今となっては分からない。
ともあれ、ハリマオは36年6月まで全65話を数え、主題歌は大ヒット。
歌うは我らが三橋美智也で当時の男の子でこの曲を唄えなかった者はいないのではないかというぐらい大ヒットしていた。
 
何しろ昭和30年代の三橋美智也と言えば他にライバルがいない。
記録によると三橋の実績は凄い。
レコードの売り上げ枚数は一億枚を超え、ミリオンセラーは32曲、男性歌手では戦後最大のスター、34年の『古城』では300万枚を売り上げたとある。
その翌年にハリマオを唄ったわけで将に飛ぶ鳥を落とす勢い、望郷と帰郷を唄わせては天下に並ぶ者がいない第一人者だった。
 
しかし、それはこの本の主題ではなく著者が追い求めているのはハリマオを演じた
昭和8年11月生まれの俳優勝木敏之という人物。
今思えば、この当時のテレビスターで私が知っているのは『隠密剣士』や『新吾十番勝負』主役を演じた大瀬康一しかいない。
因みに『月光仮面』は大瀬康一のヒット作だがオートバイに乗って現れる覆面の人物は大瀬ではなく、いわばスタントマン。
名を野木小四郎と言うそうだが昭和11年生まれで未だ健在だそうだ。
ハリマオ役の勝木敏之は、いつもターバンにサングラスで素顔を見たことがない。
 
ところでハリマオには谷豊というモデルがいるが、私が知りうる限り、谷に付いて書かれた本は1冊しかない。
資料が乏しいため詳しくは分かっていないのだと思う。
テレビのハリマオはジャワ独立運動に身を捧げ、現地住民の英雄となっているが実際の谷豊は満州事変に反発した華僑に、妹を殺害され仇を討つためにマレーへ旅立ち現地住民の手下を従えて、かなり暴れまわった人で、僅か30歳でシンガポールで死去している。
 
さて、昭和21年生まれの著者は、当時の関係者を洗いざらい調べて取材しているが、何分にも年月の隔たりがあり、勝木敏之に辿り着けない。
記録に残る勝木敏之の足跡は昭和38年の『隠密剣士』第三部全十三話まで出演で、それ以降、業界を去ったようだ。
引退後の昭和40年、東京西五反田で居酒屋『蔵』を開店、そして41年結婚。
だが、それからの消息は杳として知れない。
 
著者は勝木敏之、本名・長内章蔵を求め50数年前の「こないだ」を彷徨い歩き、多くの関係者、参考文献を当たるが、やはり目指す本人に辿り着けなかったようで無念の後が偲ばれる。
 
戦後を生きた我らが先輩の多くの人が昭和30年代の輝きを懐かしむが、30年代のどんな風、匂いを懐かしんでいるのだろうか。
確かに郷愁が湧き、日本最後の貧しい時代だったことは解る。
路地に広場に神社に河原へと子供は遊び場を見つけ長嶋、大鵬力道山、そして月光仮面、ハリマオと物は無くとも遊びに困らなかったあの頃。
本当についこないだの昭和30年代。
勝木敏之と幼馴染の男性はこう言っている。
 
「もし、会えたらどんな言葉をかけますか」
「どんな人生だったのか、聞きたい」
 
と、目頭を熱くして答えていた。
この気持ち、よく解りますね。
 
因みに芸能界には『九年会』というのがあるが、勝木敏之が生まれた年、『八年会』はない。
その八年生まれで生存している人を著者は列記している。
 
菅原洋一、服部公一、ペギー・葉山、森村誠一山川静夫、ロミ・山田、若尾文子
 
果たして勝木敏之は存命しているのだろうか。
昔、『阿部定さんを探す会』というのがあったが、彼女も死亡年月日の分からないまま歴史の彼方に消えて行った。
最後に、快傑ハリマオは現在DVD化され売っているらしいが、当時の16ミリフィルムはスポンサーだった森下仁丹本社に今でも全巻揃っているとか。
 
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