愛に恋

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同日同刻―太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日 山田風太郎

あの日、あの時、何が起きたのか、各人各様の立場から記録に残った断片を繋ぎ止めて行く作業を地道に続けた結果が、この本ということだろうか。
少なくとも、この手の本を編むということは日本人としてどうしても知りたい事柄が私と一致しているとも言える。
本書は昭和61年、文集文庫で読んで以来の再読で、ちくま文庫に収録されたのを期に改めて読み直してみた。
 
開戦当日の12月8日と終戦の月の15日間だけにスポットを当てて書いている。
記録を残した政治家、軍人、作家など、あの日を生きた本人たちが語る貴重な証言だけに読み応えがあるが、初読みの時より丁度、30年の歳月を経て殆ど失念していることに気が付き愕然たる思いだ。
さて、今日もまた長くなりそうなので気合を入れて書く。
唐突に話しはずれるが、以前、ヒンデンブルク号爆発事故の模様を見ていて気が付いたことがあった。
あの歴史的な場面を報じるアナウンサーが爆発炎上と共に次第に音声は絶叫へ変わり、更には号泣して言葉が出なくなるあたり、人間、予期せぬ大事件が現前に迫ると等しく興奮して涙するのではないかと思うようになった。
日本人にとってそれが開戦を報じるニュースと玉音放送ではないだろうか。
 
さて本題だが、奇襲前後の詳細を知るには、まず、日本時間、ハワイ時間、ワシントン時間が異なることを知らなければならない。
日本時間8日午前0時はワシントンでは7日午前10時になる。
東郷外相から対米最後通告の電文第14部が日本大使館員によって暗号解読化され始めたのも午前10時。
この時点でアメリカ側も密かに日本からの機密情報を解読していた。
日本からの回答は午後1時に国務長官に手交されることをキャッチ。
同時に午後1時頃、太平洋の何処かで日本軍が武力行動を起こすことを予想された。
ワシントン時間正午、マーシャル参謀総長は太平洋地域各司令官に警告を発信。
 
日本時間8日午前1時半、183機の第一次攻撃隊が6隻の空母から発進。
午前2時45分、第二次攻撃隊167機も発進。
ハワイ時間午前7時49分、オアフ島上空に達した隊長淵田中佐は「全軍突入せよ」を連送、続いて7時53分連合艦隊に「トラトラトラ」を打電。
 
ワシントン午後1時50分、日本大使館ではようやく覚書全文のタイプを打ち終わる。
同じ1時50分、キンメル提督からノックス海軍長官へ至急電。
 
真珠湾は空襲をうけつつあり」
 
午後2時、野村、来栖両大使は米国務省に到着。
第14部、つまり日本海軍は米国への最後通牒を渡す前に真珠湾を奇襲。
確かに米国から見れば騙し討ちに違いない。
日本時間午前11時45分、宣戦の大詔渙発
 
小田原に居た坂口安吾は「必要なら僕の命も捧げねばならぬ」と涙。
火野葦平は「私はラジオの前で涙ぐんで、暫く動くことも出来なかった」と書き。
幸田露伴も「若い人たちがなあ」と言い涙。
 
日本人にとって驚愕と不安が入り混じった開戦日。
国家の存亡を賭けての大博奕、一体全体、どう始末をつけてくれようか、その結果はこの時点では誰にも分からず。
結果、未曾有の敗戦と玉音放送
 
「何という清らかな御声であるか」と夢声は泣き。
「綸言一たび出て一億号泣す」と光太郎も泣く。
内田百閒は「熱涙垂れて止まず」と嘆き。
高見順の妻は「ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれと仰有ったら、みんな死ぬわね」と言い。
「負けたのか?信じられない。この静かな、夏の日の日本が、今の瞬間から、恥辱に満ちた敗戦国になったとは!」と、山田風太郎も言う。
高浜虚子も「秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ」と詠む。
 
陸軍内部ではクーデター未遂事件が起き、阿南陸相は自決、森近衛師団長は惨殺され、田中静壱東部軍管区司令官も自決して終戦と相成った。
思えばこの15日を挟んでどれだけの命が本土、または外地で失われてことか。
幾たびか終戦の問題を読んだが、在外邦人の保護、武装解除、国体護持、日本人による戦争犯罪人の処罰と阿南陸相が最後まで拘るのも無理からぬことだと思うが東郷外相の言い分も尤もだ。
突き詰めれば両者共に日本の行く末を案じての激論だった。
日本人が決して忘れてはならない日本の一番長い日。
日本民族をして滅亡の淵に立つとは一体どのような心境なのか。
解説者は山田風太郎に付いてこのように書かれている。
人間という生き物の生体に過剰なほどの関心を持ち、それを書き留めておかずにはいられなかったように見える
私が繰り返し評伝を読む答えがここいらにありそうな気もする。