愛に恋

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九十歳。何がめでたい 佐藤愛子

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もし、自分で母親を選ぶことが出来るとするならば佐藤愛子と答えるかも知れない。
私の父は大正5年生まれなので12年生まれの愛子さんとは釣り合いも取れる。
夫婦であってもおかしくない年齢差だ。
だが、実際の母子となれば喧嘩ばかりしてただろうか。
しかし、例え喧嘩三昧の日々でも人間佐藤愛子に対する親愛の情は変わるまい。
 
さて、今回の主人公、佐藤愛子は大阪住まいというが、なら一度、お会いしてお話しなど伺えたら光栄だ。
御年93歳、実に手強そうな相手だが。
大正生まれの女史が現代社会をどう見ているのか興味深い。
例えばテレビ出演者に対しこんな事を書いている。
 
当節は玄人よりも素人が持て囃され、努力や能力よりも器量とか、オッパイとか、バカなことを平気でいう度胸とかに重きが置かれているようになっている。
 
該当する人にとっては耳の痛い話しだが確かに言えているから仕方がない。
これなどはどうか。
 
若者は夢と未来に向かって前進する。
老人の前進は死に向かう。
 
直ぐ、そんな悲しいこと言う!
では、これはどうだ!
 
当たりさわりのない人生なんて、たとえ平穏であったとしてもぬるま湯の中で飲む気の抜けたサイダーみたいなものです。
 
波乱万丈もまた楽しからずやか。
ところでこれは聞いたことがなかった。
 
頭痛と自殺は子供にはない
 
昔から言われてきたそうだが、確かに子供時代、頭痛で学校を休んだとか、同窓生が自殺したなどという話しは聞いたことがなかった。
何故、昔の子供は自殺しなかったのか。
戦前教育で育った父や先生の世代は元より怖いものだという概念があり、どこの子供も怒られたり叩かれたりが日常茶飯事。
 
論より証拠でウチの父も怖かった!
もう、何かと言うと手が飛んで来る。
アパート中に私の泣き叫ぶ声が轟いていたはずだが、唯の一度も助けは来なかった。
昭和30年代のアパートといえば共同流しに共同便所。
廊下の両サイドに6畳一間の部屋があり、一端、泣こうものなら全世帯に丸聞こえ。
しかし、親が子供に手を上げるなんざ当たり前と平気の平左。
軍隊上がりの父は言うことを聞かなければ容赦なく平手打ち。
平手造酒かよまったく(笑
 
話しが横道にずれた。
佐藤さんにはひとり娘が居るそうだが、ある日のこと悪戯電話がかかってきた。
応対に出た娘さんとのやり取り。
 
「もしもし、ボクね、今、アソコ握ってるのよ」
「そうですか。では握っていてください」
 
ガチャン。
 
人間、長生きするなら健康でありたいと思うのは、これ人情。
身体の衰えは仕方ないにしても出来る限り自分のことは自分でしたい。
しかし愛子さんは、長生きするのは面倒くさいと言っている。
あそこが痛い、ここが痛いと言いながら生きていくわけだが、そういう答えが返ってくのもよく分かる。
90年とはどんな人生なのか、それは90歳になってみないと分からないことだが、思えば佐藤紅緑の娘が未だ矍鑠として作家活動をしていること自体が驚きだ。
佐藤さんのような先輩の存在は見習うべき点が多い。
その佐藤女史曰く。
 
「人間、のんびりしよう、なんて考えてはダメだということが、90歳を過ぎてよくわかりました」
 
とある。
90過ぎて、まだ走り続ける。
50、60はまだ小僧のうちか・・・!
 
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