私にとって芸術とはシェフと料理の関係のようなものだ。
出された料理が美味ければ美味いほど、その料理人に対して興味が湧いて来る。
一体、どのような修行を積んで来たのか。
生い立ちは、人生は、そして何故死んだのかなど興味は尽きない。
芸術愛好家などという、そんな大それた趣味はないのだが歴史全般には興味があり、美術に関して専門外とは言え、絵画史となると少しは知っておきたい。
そこで今日は感想文というより、何が勉強になったかを箇条書きにしてみたい。
まず、さしものローマ帝国が395年に東西分裂した辺りから。
ロマネスクとは。
語源はローマ建築風。
ロマネスク絵画の特徴は写実的な表現ではなく、動きのない形式的な表現を重んじ、人間味を出さないところにある。
タペストリーとは。
古代オリエント時代からある綴織のこと。
カンヴァスに絵を描くようになったのはヴェネツィアが最初。
海運の街、ヴェネツィアは帆船に使うため帆布が容易に手に入った。
アンニバーレ・カッラッチという画家が1580年代後半頃描いた『豆を食べる男』という絵が美術史的には重用な意味を持つ最初に描かれた風俗画だとか。
それがこの絵。
フェルメールの絵は30数点しか現存していないが、そのうち6作も手紙に関わる作品を残しているのは何故か?
つまり、海上覇権を握ったオランダの象徴で、船乗りの夫が多かったため。
スペイン絵画の黄金時代の到来はベラスケスと彼の庇護者であるフェリペ4世がいたからこそ。
フランス美術界では、19世紀中頃までは絵画のジャンルによって序列が存在した。
チューブ入りの絵具の発明は1840年代初期。
それまでは豚の膀胱を絵具入れに使っていた。
マネは何故、好んで娼婦の絵を描いたのか?
1853年以降に始まるパリの大改造によって近代化が進み、ブルジョア階級の人々が夜な夜な舞踏会を開くなど享楽的な生活を送っていた、その裏で華々しく活躍していたのが娼婦。
基本的に社交界は婦人同伴。
しかし、男性だけが集まる社交界には娼婦は付き物。
それら高級娼婦は「ドゥミ・モンデーヌ」と呼ばれ、意味は「社交界の半分」
なるほどね、言い得て妙!
以上、縷々書いてきたが、まだまだ書き足らないことが多いが、だらだらと書いてもしょうがないので散漫的ではあるが、このぐらいで了としたい。