《青いクッションの裸婦》
《横たわる裸》
《安楽椅子の上の裸婦》
《ディエゴ・リベラの肖像》
《小さな百姓》(1918年) テートブリテン
《ベアトリス・ヘースティングス》(1916年) ジョン・C・ホワイトヘッド・コレクション
《青いブラウスの婦人》(1910年頃) ひろしま美術館
《彼のスタジオに座っているジャン・コクトーの肖像》(1916年)
モディリアーニ、おはようございます。
最近、思ったんですけどね、貴男の絵は目がないことで有名ですけど、そうは言っても目を書き入れている作品もかなりありますよね。
で、質問なんですが、目を描きいれる場合とそうでない場合、これは何か意味があってのことなんですか?
その時、何か心の変化みたいなことがあるのでしょうか。
この日は入れよう、この人は無しにしようみたいな。
「何で私には入れてくれないのよ」
と、喰ってかかるような人は居ませんでしたか。
然し、私は嫌だな、目のない駄目男なんて。