《クロアチアの司令官ズリンスキーによるシゲットの防衛 ーキリスト教世界の盾》(1914年)
《ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世 — スラヴ王朝の統一》(1924年)
《スラヴの菩提樹の下で誓いを立てる若者たち — スラヴ民族の目覚め》(1926年)
《ロシアの農奴解放の日 — 自由な労働は国家の基盤である》(1914年)
《スラヴの歴史の神格化 — 人類のためのスラヴ民族》(1926年)
《大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入 — 母国語で神をたたえよ》(1912年)
《フス教徒の国王ボジェブラディのイジー — 条約は尊重すべし》(1923年)プラハ国立美術館
《スラヴ叙事詩 フス派の王、ボジェブラディとクンシュタートのイジー》(1923年) プラハ市立美術館
《ヴィトーコフの戦闘の後 — 神は権力でなく真理を伝える》(1916年)
《アメリカでのクリスマス》(1919年) 個人蔵
この人はチェコ人で「スラヴ民族」の想像上の歴史を描いた、どでかい『スラヴ叙事詩』を何枚も制作していますが、下段のような単身の人物像は珍しい。
然し、1939年チェコが解体され、プラハに入城したドイツ軍により「絵画がチェコ国民の愛国心を刺激する」という理由で逮捕。
厳しく尋問され、まもなく釈放されたものの、78歳の彼には大きな負担を与え4ヶ月後に体調を崩し死去しています。