愛に恋

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宮崎勤 精神鑑定書―多重人格説の検証 滝野 隆浩

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本書の出版は1997年1月とある。

この段階ではまだ日本には多重人格障害という概念はなかったようだ。

故に著者は言い切る。

死刑と言う結論が先にあったのだ。四人の幼女を殺めた男を無罪にすることはできない。それは社会が許さない。そのためには被告が犯行時「異常」であってはならない。ところが一部の鑑定書は「多重人格」というやっかいな概念を持ちだした。不条理な概念だった。それは邪魔だった。第一、日本の精神医学会はその概念を認めていない。裁判所の判断にはそのような「前提」があったのではないだろうか。

 

つまり量刑を決めることとは別に多重人格障害を考えてもらいたいと訴えている。

決して死刑に反対するわけではないが、そういう病的概念があったことを。

そういう点では、まさに宮崎は「被害者」であると。

更に鑑定結果が言うように宮崎の意味不明は別次元としか思えない態度や言葉が、長く拘置されていた為の拘禁反応から出たものなのか、犯行時も同様だったのか。

自室から押収されたビデオは実に5793本。

それらの生テープは大量万引きして確保したものらしい。

然し、彼は万引きしたことそのものを忘れているのか、その点、良く分らない。

それが所謂、多重人格障害ということなのか。

逆に警察の方では、これらのビデオの中に殺害した幼女の映像があるのではないかと、総出で調べた結果、案の定、発見される。

怖ろしい事だ。

だが不思議な事に宮崎は性的には淡泊で、ただ、興味本位に撮っただけで、ビデオに残したことすら覚えてないのか。

つまりこうだ、ビデオ再生検索して10日以上経ってから見つかり、それも「日曜ビックスペシャル動物の赤ちゃん大集合」の中に5分間だけ写っていたと。

その他6本にも写っていたらしいが、これでは宮崎自身、再生しようにも、どのテープに録画したか分からないのではないだろうか。

私は多重人格というものを理解してないが、所謂、うち面、そと面というものではなく、自分の中にもう一人の自分が存在しているということらしく、本人はそれを認めたがらないという。

結果的に判決では、訳の分からないことを言うのは長期にわたる拘禁反応の所為だと結論づけているわけだが、著者は犯行直後も同様な状態だったならば被告の証言も興味を持たれ多重人格に一石を投じる結果にもなったかもしれないと。

なるほど、著者のノンフィクション手法というのは裁判官以上の推論を展開し、非常に興味がもたれる本になっている。