愛に恋

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第一の性 三島由紀夫

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人間は多面的な色合いを持った生き物。

普段は一面、二面を見せても三面となると容易に解かるものではない

ましてや第四面まである場合は、肉体関係を持ち、さらに深い契りでもなければ、金塊までたどり着けない。

男女関係を掘り下げなければ、おそらく分からないだろう。

門外不出の顔と言ってもいいぐらいだ。

本書は三島由紀夫がほぼ30代の時に書いたもので、総てを三島が体験したとは思えないが、作家というのは、先ず優れた洞察力を持つことが大切で、彼の場合は30代にして人を見抜く力があったのだろう。

因みに三島の年齢を数えるのは簡単で昭和の数字に当てはめればいい。

例えば昭和30年なら30歳ということになる。

三島は、その生涯を45歳で閉じ、何かの本で読んだが、自らが老いることに抵抗があったようだ。

況や三島は書いている。

愛されていることの居心地のよさの中で、勇気百倍して仕事にはげみ、けんめいに稼ぎ、それを結局、女のために、さらには、妻のために、子のために消費して、おしまいには癌か、脳溢血でポックリ死んでいく。これが男というものの、簡単明瞭な、多少ばかばかしい全生涯です。

確かに字面を読めばつまらない人生と言えなくもないが、だからと言って腹を召されるというのはこれまた極端の決断。

三島の時代はどうか知らないが、日本は世界有数のセックスレス大国だと言われる。

こんな場面に遭遇したことがあるだろうか。

三島は言う。

デパートの特売場で、組んづほぐれつ、死してのちやむの精神で、ラクビーそこのけの熱戦を展開する気力。

私は一度、二十代の頃に群がる主婦の血眼になった姿を冷静に見ていたことがある。

まあ、その浅ましさといったらない。

日本人は何故結婚後に性欲が失せるのか。

ある学者が言うには。

子供が出来ると呼び名も「お父さん」「お母さん」と家族になってしまう段階で、異性とは見れなくなってくるからだという。

歌舞伎の演目に「忍夜恋曲者」というのがあるが、まさに不倫とはこういうことだろう。

曰く「しのびよるこいのくせもの」

満たされない体の飢えうの捌け口を求めて心に隙が出来る。

三島の時代、男性セックスシンボルと言えばエルビス・プレスリーで、あの湯川れい子を悩殺した男だが、三島に言わせるとこうなる。

あのヨーグルトを固めたような男が、男性の性的魅力の代表であるということことについては、異論のある人が多いと思う。しかし彼は、今世紀における最大最高の男性のセックス・シンボルであり、その地位は当分ゆらぎそうありません。

私としては当時のエルビスに関して異論はなし、彼のステージを見ていてもキスを求めて群がる女性の熱い瞳などが、それを物語っている。

現在なら韓流ドラマのスターなどに、おば様連中が群がるのと同じことだろう。

さらに三島は追いかけるように言い放つ。

プレスリーは男性における突然変異であり、ひどく自然に反したもので、一種の「性の神」になるように生まれついた男である。

いいではないか、羨ましい。

本書の中ではいくつかの映画を通して三島は男女の恋愛観などを見ているが、第一に『マーティ』、1955年度アカデミー賞作品 / 監督 / 脚色 / 主演男優賞、その他カンヌ国際映画祭グランプリも受賞した名作ヒューマンドラマで、主演はアーネスト・ボーグナイン、『地上より永遠に』でシナトラの喧嘩相手になった不細工俳優と言っては失礼だが、それがテーマだから仕方ない。

第二にウィリアムホールデンキム・ノヴァク主演の『ピクニック』。

第三に『七年目の浮気』、そして『地上より永遠に』、バート・ランカスターがお相手のデボラ・カーと濃厚なキスをする場面で有名だが、浮気にしても不倫にしても自ずと男と女では温度差があるのか、名作映画の中では扱われ方に深みがある。

三島はそれら男女の恋愛をマスターベーションも含め透徹したように捉えているが、流石にノーベル賞候補、私の30代ではこうは書けない。