愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

ポール・ゴーギャン Part.6

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《月と大地》(1893年 ニューヨーク近代美術館

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《異国のエヴァ》(1890-1894年)

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《グロアンスの休暇》(1888年オルレアン美術館

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《洗濯する女たち》(1888年ニューヨーク近代美術館

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《縫い物をする女》(1880年ニイ・カールスバーグ美術館

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《ヴァイルマティ》(1897年)

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ブルターニュの少年の水浴》(1886年

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《ヴォージラールの庭》(1881年ニイ・カールスバーグ美術館

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タヒチのマンゴ》(1892年)ボルティモア美術館

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《ナヴェ・ナヴェ・モエ(甘い夢)》(1894年)

女性は何処の国へ行っても肌の色違いがあるだけで万国共通の男女関係だと思いますが、食生活に関してはタヒチの食べ物は口に合ったんですか。

私にはよく分かりませんが、何故、タヒチだったのか、タヒチは楽園だと誰かに聞いたのですか。

然し、永住とはこれまた思い切った決断ですね。

医療関係設備など、当時のタヒチがどうだったか知りませんが、私には出来ないことです。

そして貴方の絵ですが、どうもこれは凄いというのが今のところ見つからないのですが。