《蝶取り》(1874年)オルセー美術館
《化粧をする後向きの若い娘》(1880年)シカゴ美術研究所
《バルコニーにて》(1873年)
《夏の日》(1879年)ロンドン・ナショナル・ギャラリー
《食堂》(1875年)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
《窓辺の画家の妹》(1869年)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
《ワイト島のウジェーヌ・マネ(ワイト島の室内)》(1875年)マルモッタン美術館
《ゆりかご》(1872年)オルセー美術館
そうだったんですね、貴女がマネのモデルになった人だったんですか。
親密な関係になったようですが、貴女が選んだ結婚相手はマネの弟のユージニ。
然し、1892年に夫を亡くし、貴女自身も1895年亡くなったとありますから、娘さんはまだ16歳だったわけで。
その後、娘さんのジュリーがどうなったか調べてみました。
詩人で評論家で有名なステファヌ・マラルメがジュリーの後見人となり、親戚のもとで暮らし、また、モリゾやマネの知り合いだった印象派の人たちから生活をサポートされ、特にルノワールは彼女をモデルにした絵をいくつか描いており、1900年には画家で甥のエルネスト・ルアールと結婚したらしいですよ。
ジュリーは1878年生まれなんですよね、エルネスト・ルアールは1874年8月24日 です。
良かったじゃないですか、写真を載せておきますね。
作品の方は批評家たちから「印象派グループにおける本当の印象派の1人」と評価されていたそうですが、私のは詳しいことは分かりません。
然し、貴女のように描くというのは難しいですね。
そこが印象派たる所以なのかも知れませんが、貴女の絵は生前から売れていたそうですから、それなりの知名度もあったんでしょうか。
金銭的に困らない生活だったにしても、まだ少女の娘さんをひとり残して世を辞していくのは、さぞ不憫に思ったことでしょう。
今日、貴女の名も一定の評価を得て語られることになったのは本当に良かったと思いますよ。