現在に到るまで米政府の公式見解は「原爆投下は正当である。それによって100万人ものアメリカ将兵の命が救われたからだ」という説が一般的だが、一方、アメリカの軍事力をソ連にアピールするために、原爆投下に踏み切ったという説もある。
1945年7月の段階で戦争を終らせる選択肢は4つ。
(1)本土上陸作戦を行う
(2)皇室維持を条件として認めた降伏勧告を出す
(3)原爆を投下する
(4)ソ連の参戦を待つ
特に、皇室維持という条件を提示すれば日本が降伏する可能性がきわめて高いことも知っていた。
ならば初めからそうしたら手間も省けたのでは。
態々、落とさなくても。
あんたらはポツダム宣言の中で「subject to」という表現を使ってますね。
これを巡って14日の閣議は紛糾したのを知っていますか。
外務省は「連合軍司令官の制限下に置かれる」と解釈したわけですが、陸軍省では「隷属する」と翻訳したから東郷外相と阿南陸相の間で鋭い対立が繰り広げられたのです。
要は国体護持に関することですから、連合軍に再紹介してはどうかという議論のまま、最後の御前会議で陛下の御聖断が下り、一同、号泣するという場面に相成ったのです。
あんたらは態と、ツボを外して宣言を出しましたね。
当時、御文庫でこの場面に立ち会った人たちにとって、敗戦を受け入れるということが、どれだけ苦渋の選択だったか、また、断腸の思いだったか、日本が占領下に置かれるという屈辱、戦争に負けるということがどういう意味を持つのか、今からその辛酸を舐める日本人を思うと、実に大変な1日だったということが少し分かるような気がする。