ピエール・ロチの小説というのは、だいたいが、その土地で恋愛関係になった女性名からタイトルを取っているらしい。
例えば『アジアデ』はトルコの恋人。
『ララフ』はタヒチ。
『お菊さん』は日本。
さらに『アフリカの騎兵』『氷島の漁夫』と続くが、著者は古希を迎えて妻同伴
でロチの赴任先を巡るという大冒険に踏み切る。
これは大変だろう、何しろ、トルコ、タヒチ、長崎、西アフリカなど、小説の題材となった場所を訪ねるわけだから。
そもそもロチは海軍士官で、所謂、現地妻となった女性との話をフィクション的に創作したようなものだと思うが、任務で赴いたロチと違ってこちらは実費だけにたまらない。
日本ではピエール・ロチなどあまり知られていないと思うが、『お菊さん』などは聞いたことがないであろうか。
ロチの船が長崎に来航したのは明治18年の夏、一ヵ月余りの滞在で、部下には日本に行ったらお人形さんのような女の子と結婚するのだといい、斡旋人を介して「お菊さん」という18歳の娘を紹介してもらい、登記役場で彼女と結婚契約に署名、同居許可状を貰い停泊地に近い十善寺の借家に住んだとあるが、実際は35歳のロチが、お菊ではなく、お兼さんという女性と金銭契約の単なる同居人だったらしい。
だが、ロチの日本人と日本文化に対する気持ちはかなり辛辣で、日本女性について、
「人形のように小さく、皮膚は黄色く、目の吊り上がった猿のような容貌」
と表現、日本の風習については、
「四つん這いになり、タタミに頭を擦り付けて何度も繰り返すお辞儀」
「夕方、庭先や戸口で蔽いのない桶(たらい)に浸かる湯あみ(行水)」
「病気の時、まじないの文字を書いた紙きれ(護符)を丸めて飲むこと」
「人為的に歪めて育てた盆栽を並べるミニチュア庭園」
「神社仏閣のグロテスクな顔かたちをした石の彫像」
を挙げ、これらすべてに違和感を覚え、滑稽であると記している。
まあ、西洋人から見たらそのような感想をもたれるのも仕方ないことかも知れないが、日本人に言わせれば、ほっといてとなる。
驚くのは上野彦馬写真館で撮られたロチと部下のイヴ、そしてお菊(お兼ねさん)の写真があると記載されているので、早速調べてみると確かに。
背の高い方がロチと思われるが、それにしてもよく残してくれたものだ。
然し、お菊さんを仔細に見るに、さほど不美人とも思えぬがどうだろう。
だが、アフリカのセネガル第二の都市、サン・ルイに来て著者は言う。
「この国の女性は衣装に金をかけるそうだ。特に服地の選び方にうるさいという。この国に来て私はアフリカ系の人々の美しさを見直した。男性も女性も体つきがすらりとして顔つきも彫が深く鼻筋が通っている。粗末な体型の日本人とは骨格が違うので比較にならない」
確かに体格では見劣りし、ヒップ、バストでもボン・キュー・ボンでは勝てない。
なぜ黒人女性はあんなにヒップラインが素晴らしいのか、それらのことで人類学専門家の話を聞いたことがない。
まあ、それはともかくセネガルの旧ダカール駅近くからフェリーで30分も行った所に奴隷貿易の拠点となった、ゴレ島という一時間もあれば見れる小さな島があるらしい。
黒人の健康状態や労働への適性検査を行い、送り先を決める拠点で、16世紀から19世紀までの約300年間に400万人の奴隷をアメリカやカリブ海に送り巨万の富を得た。
300年といったら実に長い、徳川幕府がそっくり奴隷制時代と言ってもいい。
この間、何世代も奴隷として売り飛ばされた名もない人たちは、何も書き残さず死んでいったかと思うとやり切れない。
彼らとて感情があるわけで、いや、少し余談が過ぎた。
ピエール・ロチと行くロマン紀行というが、本書はあまり売れなかったのではなかろうか。