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パール判事: 東京裁判批判と絶対平和主義 中島 岳志

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「パール判決書」というのは英文で25万語、講談社の文庫で1400ページを超えるものらしい。

本文中には、法律関係の専門書だけではなく、歴史書や哲学、各種の手記など、さまざまな文献から引用がなされ、裁判の意見書とはまるで思えないような内容を含まれ、また、複雑で深長な文章で書かれていることから、通読するのに多大な困難を伴うものに仕上がっている、と著者は言っている。

扨てと、今日は長くなるのかな、気が重いが書かなければ。

パール判決書は全体は七部構成で、

 

第一部:予備的法律問題

第二部:侵略戦争とは何か

第三部:証拠および手続きに関する規則

第四部:全面的共同謀議

第五部:裁判所の管轄権の範囲

第六部:厳密なる意味における戦争犯罪

第七部:勧告

 

東京裁判においては以前、ドキュメンタリ映画があり、佐藤慶のナレーションで見るも見事な作品になっている。

その中で語られる、第四部の「共同謀議」が問題で、事実、相手の名前こそ知れ、実際に会うのは本法廷が初めてという被告が多かった。

会ったことのない被告と共同謀議とはこれ如何にということだろう。

パール判事によれば、本裁判は「事後法」に基ずくもので、検事側の言う「文明の裁き」を糾弾、「数世紀にわたる文明を抹殺」をする行為として避難、そのような見解を述べた判事は、11人中、彼ひとりだったが、パール判事にとっては政治的意図によって法の原則を踏みにじり、復讐の欲望を満たすために裁判を行うことこそが、野蛮な非文明的行為そのものだったというわけだ。

簡単にいうとこうなる。

 

戦勝国は、戦争犯罪人を裁くための裁判所を開設する権限を有している。

裁判所憲章の制定自体には問題はない。

しかし、戦勝国が裁判所憲章で新たな罪を創作し、立法を行うような権限は有していない。

国際法に依拠しない新しい罪を創作することを、文明社会は認めていないと主張しているわけで、確かにそのとおりで、いつの時代でも事後法は違反だろう。

一緒に考えてみたいが、どのような国でも戦争をするときに「侵略」を目的として掲げることはないと著者はいう。

ほとんどの場合、交戦国は「自衛のための戦争」であることを主張し、自国の自衛権の発動とその正当性を訴える。

主権国家自衛権を認め、「自衛か否か」の判定を当該国に委ねてしまっている以上、戦争そのものを国際法違反とすることは難しい。

つまり、当事者同士はどちらも自衛のための戦争だったというわけで、勝った方の自衛ばかりが裁判で認められるところに矛盾が生じ、第三者が裁判を仕切るわけにはいかない。

東京裁判までは「侵略」の定義すら確率されていないにもかかわらず、「平和に対する罪」が事後法的に設定され、被告人たちが「法的」に裁かれようとしている。

パールはこのような「法によらない正義」が、あたかも、「法による正義」の仮面をかぶって横行することを厳しく批判し、その危険性に警鐘を鳴らしている。

彼の論理のどこがおかしいというわけだ、そのとおりではないか。

国際法による侵略の定義がないからこそ、西洋諸国の植民地支配に対しても適用されてないのだろう。

西洋諸国がアジア、アフリカに植民地を持っているのは何も自衛のためではない。

にも拘わらず、ひとり日本だけが侵略の罪、平和に対する罪で裁かれるのは如何にもおかしいではないか。

奴隷制度などで多大な利益を上げてきた西洋人から侵略者扱いにされる。

パール判事はインド人で、そのインドがイギリスによって征服されている、矛盾も甚だしい。

植民地制度が成り立っているのは、道義的には正当な戦争とは思えないが、国際法上の犯罪でない以上、それを犯罪として裁くことはできないという論理になる。

パールの怒りは治まらない。

連合国は日本帝国主義を断罪し、その指導者たちを「平和に対する罪」で裁こうとする一方で、自らの植民地を手放そうとしないばかりか、日本が撤退した後の植民地の奪還を図り、再び帝国主義戦争を起こしている。

そのような状況が、裁判と同時進行的に繰り広げられていることの欺瞞と矛盾をパールは指摘しているが、言うまでもなく、オランダ、フランス、イギリスなどの判事が列席している法廷でもある。

ヒトラーと密約を結んで、ドイツのポーランド侵攻と同時に東からポーランドを侵略し、バルト三国を併合したソ連戦勝国の一員とはおかしな話ではないか。

なぜ、日本の満州国だけが「侵略」として断罪されなければいけないのか? 

日本も西洋諸国も植民地支配を推し進めた点では、道義的に同罪ではないのか?

西洋諸国の侵略行為が許されて、日本だけが許されないのはおかしい。

 

日本はアメリカとの衝突を避けようと全力をつくしたが、しだいに展開しきった事態のために、万やむを得ずついにその運命の措置をとるに至ったということは証拠に照らしても本官の確信すろところである、と判事は言う。

 

本官どころか私も同意する。

来栖大使、野村大使、東郷外相は開戦を避けるため全力を尽くしたと思う。

然し、ルーズベルトの真意は先に日本側に手を出させ、ヨーロッパ戦線で苦境に立つイギリスを助けたいため、国民の戦意高揚が必要だったのだろう。

それまで欧州戦争に不介入だったはずのアメリカが真珠湾攻撃で一転、宣戦布告。

ただ、ルーズベルトの誤算は日本の奇襲攻撃の凄まじさには驚いたということだろう。

よく引用されることだが、真珠湾攻撃の直前に米国務省が日本政府に送ったものと同じ通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルク大公国でさえも合衆国に対し、戈(ほこ)を取って立ち上がるといわれるほど、追い詰める内容であったことはよく知られている。

最後にこのように言って締めくくっている。

 

「時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求することであろう」

 

だが、裁判が終わり戦後の日本を見てパールは嘆く。

敗戦の衝撃で「背骨を抜かれ」、すべてをアメリカに委ね思考様式が確立してしまった日本を、彼は心から憂いた。「長いものには巻かれよ。強いものには屈服せよ」という戦後日本の精神に対してパールは激しく憤激したとある。

一方でパール判事は通例の戦争犯罪東京裁判で裁くことについては、これを積極的に容認し南京虐殺事件」バターン死の行進をはじめとする日本軍の「残虐行為」を事実と認定し、「鬼畜のような性格」を持った行為として断罪した。

しかし、東京裁判にかけられたA級戦犯が、これらの残虐行為を支持したり、事件拡大化の防止を怠ったという証拠は確認できないとして「被告人に刑事上の責任をは問えない」という認識を示したとあるが、ならば支那派遣軍の司令官、松井岩根大将の死刑判決には矛盾が生じるわけだ。 

松井大将が事件に積極的に関わったという事実はないが、責任者として処刑されたという解釈が正しいと思う。

まあ、いずれにしても法の下の平等という観念はおかしい。

勝者が敗者を裁く復讐劇に他ならない。

原爆はもちろん、無辜の民を含む無差別爆撃はまったく罪に問わない。

これで法の下の平等といえるだろうか。

然し、今やこの話を語り合っても不毛の論争に成り兼ねない。

記事も長くなったので、このあたりで締めたい。