愛に恋

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伊藤律 陰の昭和史 毎日新聞社編

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この名前と顔は、ここ数十年間忘れたことがない。

あれはいつの事だったか、調べてみると1980年9月3日のことらしい。

つまり、ちょうど40年前になる。

突然、中国から伊藤律なる見知らぬ男が帰国して国内は騒然。

当時、20代の私は、この怪しげな人物に関しての知識はゼロ、戦後、長らく消息を絶っていた、よほどの大物が里帰りとは分かったが、伊藤律とは一体何者なのか。

断片的に聞こえてくる話は、スパイ、転向、裏切り、逃亡、ゾルゲ事件

40年この方、リヒャルト・ゾルゲの関連本戦後、ベストセラーになった尾崎秀実(ほつみ)の『愛情はふる星のごとく』、尾崎の弟、尾崎秀樹『生きているユダ』、ゾルゲの愛人、石井花子の『人間ゾルゲ』など読んで、出番を待ち続けた伊藤律の本を、先ごろの古本市で見つけ棚に積んでおいた。
中国に渡ってから29年の月日が流れ、その間、共産党員の妻は離婚の手続きをせず、2人の子供を育て、ひたすら夫の帰りを待っていたという。
帰国後、伊藤はろくな記者会見も行わず直ちに入院、体の衰弱が思わしくなく、視力、聴力の衰えもあり、取り敢えず病気を治したいとのことだった。
共産党は既に除名手続きの済んでいる伊藤に対し、特別、談話は発表しない様子だったが、騒然とする世論に結局2回ほど声明を発表した。
本書では、伊藤についての概略と、直接本人を知る人のインタビュー、その全てが掲載されている。
騒動から40年、伊藤は再び忘れ去られてしまったが、戦前、ゾルゲ事件に重大な疑問を残す形で関わり、戦後、日本共産党の実力者にのし上がり、「不純分子」「スパイ」などの嫌疑で同党を除名された人物。
ゾルゲ事件では検挙者35名、起訴8人、主犯のゾルゲと尾崎は死刑。
余談だが、ゾルゲ事件では重大な情報がゾルゲらの秘密諜報によってソビエトにもたらされた。
関東軍は北上せず、ソ連を攻めることはないという情報に基づいて、日本軍の侵攻に備えていたソ連軍は、急遽、スターリングラードに投入され、パウエル元帥率いるドイツ第6軍は降伏に至った。
もしゾルゲの情報が無かったら、ソ連軍はドイツ軍の侵攻を食い止めることは出来なかったはずで、独ソ戦はまったく違う結果になっただろう。
これは第二次大戦の趨勢を占う意味でも至極重大なことだ。
話を戻すが、敗戦後釈放された共産党の大物といえば、徳田球一、志賀義雄、宮本顕治袴田里見、それに野坂参三ぐらいしか知らないが、後に彼らの中でも内部分裂が起こり、伊藤はその後、中国に極秘裏に渡たったらしい。
ところで、GHQ内部では日本を統括するに二つのグループがあり、ウィロビー陸軍少将率いる参謀部第二課(GⅡ)とホイットニー率いる民生局(GS)で、ウィロビーは徹底した反共主義者、ホイットニーは日本の民主化を主張、この両者は激しく対立、参謀部第二課がゾルゲ事件に興味をもち、配下のキャノン機関に事件を調べるよう指示。
キャノン機関とは特務機関を使った謀略機関のことで、戦時中、特務機関員として働いた日本人を雇い、秘密裡にスパイ活動のようなことをしていたらしいが、実は私の父がキャノン機関の人間で、この本によると伊藤をキャノン機関(本郷にあった旧岩崎邸)に呼び出し、締め付けたとある。
この時、伊藤はすっかり脅されてアメリカ側のスパイになったと記録にあるが、まさか父が関与していたのか、この記事内容には興奮を覚える。
伊藤律に関しては4年前『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』という本が講談社から出ているが、これは文庫化されないのかな、待ってるんですけど。
伊藤については、今少し本を読みたい。