愛に恋

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成瀬巳喜男 映画の面影 川本三郎

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以前、淀川長治さんと映画について話をした時「成瀬巳喜男は好きですか」と聞くと、即座にこう言われたのはよく憶えている。

「いやよ、あんな貧乏くさい監督」

無論、笑いながらであったが、成瀬巳喜男の特色をよく言い得ていると思った。

 

のっけからこう書いて、それ以降、成瀬作品が如何に多くの貧乏臭い、金銭に纏わる作品を残したか列挙していく。

読んでいると、どの作品も主人公は戦争未亡人や裏長屋に住む貧乏人だったりで、確かに淀川さんの言うとおりなのだが、著者は、その貧乏臭さに惹かれている。

私自身、共同流しに共同便所という30年代特有の木造アパート出身なので、貧乏話は大歓迎で、淀川さんも悪意があって言っているわけではなかろう。

その成瀬巳喜男とはどんな人だったのか興味がある。

とにかく無口な人で。

 

「じっとおいておけばそのまま、よほど注意しないと認められないで終わるという静かな感じの人で、声も低いし、話をするのでも遠くから話のできないたちだった」

 

監督昇進が遅れたのも無口のせいで助監督時代が7年もあり、本人、映画をやめようとまで決意したこともあり、松竹では花が咲かず、昭和9年、29歳の時に東宝に移り名監督になっていく。

 

撮影はきちんと定時に始まり、定時で終わる。必要なこと以外、話さない。

「怒鳴ることもなく、笑い声もなく、静かに、淡々と比較的短いカットが、当り前のカメラ位置で、撮り始められていく」

 

私も成瀬作品は何本か見たが、本書に取り上げられている「流れる」という作品は見たかどうか覚えがない。

妍を競う女優陣、成瀬は若い女優より、人生経験豊かな大人の女性のほうが好きで、生活の疲れや憂いがあってこそ彼女たちは美しく輝くという。

時は昭和31年、山田五十鈴39歳、高峰秀子32歳、杉村春子47歳、田中絹代46歳で若手では岡田茉莉子が出演、然し、戦前の大スター栗島すみ子の存在が大きく、成瀬の助監督時代を知っているだけに格が上で、成瀬を「ミキちゃん、ミキちゃん」と呼ぶので、山田五十鈴や、田中絹代などは傍で小さくかしこまっていたと、後年、山田は言っている。

この栗島すみ子が出た作品を確か一本でけ見ているはずで、或いはこれだったか?

 

「不安が女優を美しくする」のは映画の鉄則と書いてある。

 

が、まだ私にはそこまで解らないが、成瀬は大袈裟な動きが大嫌い。

仲代達矢「つまらないテクニックは使わなくてもいい。なるたけ静かに演技してね。立っているだけでいいからね。黒澤君とこでやっているみたいな、ああいう大げさな芝居しないでね」と釘を指されたと。

その黒澤は一に尊敬する人として成瀬さん、次に小津さんと言っている。

然し、城戸四郎は成瀬を評価せず「小津は一人でいい、二人は要らない」、それが東宝の前身PCLに移る動機になった。

 

初めにも書いたが、とにかく成瀬映画では貧乏と金である。

昔の男から金を無心される田中絹代

「そんなもの会社が出してくれないの」と突っぱねる。

こんなことは小津や黒沢映画では起きない。

浮雲』でも森雅之が高峰のところに、妻の葬式の費用を借りに行く場面など。

しみったれているのではなく、成瀬は自らの体験もあって、このような貧困を描くのが好きで、それがまた情味を奥深くしているのではなかろうか。

同じように貧乏で弱い男を描きながらも暗く、深刻になってしまう溝口健二の世界とは違い、弱い男に優しい。

そんな関係からか成瀬は林芙美子原作の映画を6本も撮っている。

 

『めし』51年、『稲妻』52年、『妻』53年、『晩菊』54年、『浮雲』55年、『放浪記』62年。

高峰秀子「林さんの作風と肌が合うのでしょう」と言っているほどで、名作『浮雲』は確か20歳ぐらいの頃に読んだが、映画は、それよりかなり遅く、読んで良し、見て良しの作品なのでイチオシ。

ところで、あの最後の場面は屋久島ではなく伊豆で撮影されていたんですね。

昭和30年、東宝の試写室で、小津安二郎笠智衆と盟友の脚本家、野田高梧の三人で『浮雲』を見終わって暫くすると、小津が「今年、これベストワンは決まりだね」と言った。

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「私たちにとって、過去は私たちの唯一の現実です。それがなければ、私たちは今どこにいるのでしょうか?」

 

戦後、ニューギニアから復員して映画界に戻った加東大介などは、作品に恵まれず、ある日、成瀬から電話を貰って『おかあさん』出演依頼の話が来た時は嬉しくて涙が出たと言っているが、おかあさんは勿論、私のように昭和30年代を生きた者は成瀬時代の映画は、庶民の暮らしの中に普通にあったものが、今は消えてしまって、その消えた暮らしの輝きを思い出させてくれることも嬉しい。

荷風が歩いた下町を成瀬も辿る、その足跡を這うように著者も歩いたとある。

消え行く下町と東京の風情は、今や成瀬映画に見ることが出来る。

 

私の研究のテーマと言えば大袈裟だが、滅びゆくものの美しさと哀しみ、言うなれば滅びの美学。

時代から消えて行く者と物の切なさ、結局、日本美学が追い求めて来たものはこれに尽きると思っているが、なかなかこれが理解してもらえないのが哀しい。

 

ところで意外な話が載っているので書きたい。

成瀬映画が好きで『銀座化粧』のロケ地を克明に調べたミュージシャンの大滝詠一とあるが、相当入れ上げたのか撤退した調査に挑んだようだ。

流石ですね大滝さん。

貧乏を描くのが好きな成瀬は、貧しい暮らしを悲惨に捉えず、あくまでもユーモアで包み込む。

そこが味噌なのか、大滝さんは味噌を訪ねて三千里。

更に昭和12年、成瀬映画の『雪崩』の助監督を務めていたのが黒澤だとか。

なるほどね、勉強になる。

最後に42歳で逝った野呂邦暢の評論『失われた兵士たち 戦争文学の試論』を引用して終りたい。

 

「わが国の戦争文学は、いやおうなしに敗北を認めさせられることによって成立した。したがって、わが戦争文学には作者が戦争で果たした役割の如何によらず、文章の行間に、いわくいい難い哀しみがある。死を賭してまで護ろうとした一つの倫理的価値に意味がなかったことを知った者の哀しみである。

 

成瀬にもその哀しみがあり、故にあれほど多くの戦争未亡人を登場さたのだろうと。

「哀しみ」があるからこそ成瀬映画の女優たちはあんなにも美しかった。

と著者は言う。