愛に恋

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マリー・アントワネット最後の手紙 1793年10月16日

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記録によるとマリー・アントワネットが処刑されたのは、1793年10月16日12時15分 現在のコンコルド広場。
最後の手紙とは処刑された夫、ルイ16世の妹マダム・エリザベトに宛てて書いた手紙のことを指す。

1792年8月タンプル塔に幽閉された国王一家はルイ16世、アントワネット、エリザベト、マリー・テレーズ(娘)、ルイ・シャルル(息子)で、翌1793年1月ルイ16世が処刑され、7月ルイ・シャルルが家族から引き離され、8月にはアントワネットがコンシェルジュリ監獄に移送される。

そして10月14日から2日間にわたる裁判の末、10月16日午前4時過ぎ、死刑判決が出る。

その直後、彼女は革命勃発以降、苦労を共にした義妹マダム・エリザベトに最後の手紙

を書くが、午前4時過ぎに判決が出て、12時15分に処刑とはまた早い。
アントワネットも一睡もしていなかっただろうに。

結果的には手紙はエリザベトに届かず1794年5月処刑され、手紙はロベスピエールの手に渡ってしまう。

時に革命は理不尽な死を流す。

小栗上野介のように。