愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

ゴヤ 4 運命・黒い絵 堀田善衞

f:id:pione1:20191004104117j:plain

扨て、いよいよ最終巻だが、本当に長くかかってしまった。

この巻では「黒い絵」と言われるデッサンについて紙数を割いているが、ゴヤのデッサンは、その画帳に自らつけた番号によると313枚あった筈で、現在その存在が確認されている物は271枚、だが現物を見ることが、通常の美術館や図書館への訪問者には不可能らしい。

彼が描いたのは残虐なもので著者は言う。

 

彼には、戦争についてであれ、拷問であれ、迫害、飢餓であれ、その悲惨と残虐に接して、怒り、憤り、悲しみ、嫌悪、同情、激励等々、感情的思想的反応は言うまでもなく存しはするものの、そこにもう一つの、対極的な反応もが存することを認めざるをえない。それが画家、あるいは作家をも含む芸術家のエゴだ。

 

つまりは戦争における残虐行為の数々を冷静に描写する精神ということだろうか。

それがゴヤには備わっていた。

掲載されているデッサンの数々を見ると、実に忍びない光景ばかりなのだ。

また、こうも言う。

 

人間が持つもっとも本質的な悪の一つは、人間が人間に対して犯す悪を直視し、これを表現し切る勇気と技術を欠いていることである。

 

ふん、これはよく分からないな。

スペイン情勢は、

 

1820年1月1日、今度はアンダルシアで反乱が起き、マドリードに入り、3月7日にはフェルナント7世に、1812年憲法に対する忠誠を誓わせた。と同時に、布令を発して議会を招集し、イエズス会派を再び追放し、言論の自由を保障し、24の修道院閉鎖し、教会財産の国有化を宣言、王は異端審問所の廃止例に署名、ここに、徒刑囚の政府、と呼ばれた、囚人と被追放者からなる政府が成立。

 

その後、マドリードの群衆は異端審問所を襲撃とあるが、それに関係なくゴヤは、現在は現存していない「聾者の家」なる別荘に1819-1822 の4年間ほとんど外出することなく住んで、黒い絵と言われる14点の作品を描いた。

現在はプラド美術館にある、その絵は1階食堂に、

f:id:pione1:20191014112805j:plain

《レオカディア・ヴェイス》 (147 x 132 cm)

ゴヤは67歳で25歳の人妻レオカディアと同棲、翌年娘をもうける。

f:id:pione1:20191014112929j:plain

《ユーディットとホロフェルネス》
イスラエルの未亡人ユーディットは、敵軍アッシリアの将軍ホロフェルネスを誘惑し、
熟睡中にその首を切り落としイスラエル軍に持ち帰った。

f:id:pione1:20191014105134j:plain

《魔女の夜宴》(140 x 438 cm)

悪魔が牡山羊の姿で現れ、魔女たちの夜宴を主催するという民間伝承のお話。

f:id:pione1:20191014113855j:plain

《サン・イシードロの巡礼》(146 x 438 cm)

サン・イシードロは、マドリッド守護聖人で祭日は5月15日。f:id:pione1:20191014114128j:plain

《我が子を食らうサトゥルヌス》(146 x 83 cm)

サトゥルヌスは、ローマ神話の農耕神で主神ユピテルの父。

f:id:pione1:20191014115142j:plain

 《二人の老人》

 
2階サロン

f:id:pione1:20191015085232p:plain

《アスモデア》(123 x 265 cm)

f:id:pione1:20191015085458p:plain

《異端審問への行列》

f:id:pione1:20191015085612p:plain

《運命の女神達》(123 x 266 cm)

f:id:pione1:20191015085726p:plain

《運命の女神達》(123 x 266 cm)

f:id:pione1:20191015085849p:plain

《砂に埋もれる犬》(134 x 80 cm)

f:id:pione1:20191015090044p:plain

《読書(解読)》

f:id:pione1:20191015090203p:plain

《自慰する男を嘲る二人の女》

f:id:pione1:20191015090309p:plain

《食事をする二老人》
 
テーマは暴力・脅迫・老化・死の探求で、ゴヤは75歳前後、一人で暮らしで精神的にも肉体的にも激しく困窮していた時期で、著者は言う、
 
理性の眠りは妖怪を生む。
理性に見捨てられた想像力は、不可能な妖怪を生む、それが合体すればこそ、芸術の母となり、その奇跡の源泉ともなるのである。
 
そして「聾者の家」に対して、
 
彼の人生そのものが、ポケットを裏返しにしたようにして表現されてもいるであろう。
そういう意味では、この「聾者の家」の壁の14面は、彼自身の内部を、内から外へ、内部から壁へと移したものとも言える筈であって、わが子を喰うサトウルヌスや、魔女たちや、犬をはじめとして、死の近いことの自覚などを描いたもののなかに彼自身が生活し得るちは、それいったいどういうことなのか、とわれわれをして終局的に問わしめるていのものである。
 
何やら難しいが、まだ続く。
 
1階食道の7面を総括したときに、私は「自由」という命題を提出し、2階サロンのそれについて「運命」ということを言った。
自由と運命とは「、これはまことに重沈な哲学的命題である。
 
本当に重沈な哲学的命題で私には解らない。
更に続けたい。
 
比喩的に言うならば、芸術家は、彼がもし真に芸術家であるならば、如何に年老いていたとしても、芸術家は若くして死ぬのである。彼に余生はない。前代議士というものはありえても、前芸術家というものはありえないのである。つねに進行形の生もつ、たとえ足踏みのかたちの進行形であろうとも。
その進行形の生が途絶えたところ、それが彼の死である。その進行形が彼の芸術を「完成」させてのそれであるかどうかは、別の問題である。
ゴヤの生涯は、かかる芸術の、生というものの、一つの典型であった。彼はそのことを、一言で、言い抜いた。
 
おれはまだ学ぶぞ。
 
なんとも難しい本ですね。
私はこんなことを書いていながら、本当によく解らないのである。
そのゴヤは、没収を避けるため、当時17歳の孫マリアーノに聾者の家を贈与した。
異端審問所が復活したのである。
次のカテゴリーに属するものは有無を言わさずに逮捕、処刑されることになった。
 
・前親仏派
自由主義的言説を弄した者
・良俗を破壊し、妾やその家族を擁した者
憲法に忠誠を誓った者
・長年にわたり破壊的思想を鼓吹した者
・逃亡中の被疑者に避難所を供した者
 
ゴヤは全ての項目に該当していた。憲法に忠誠を誓った者とは、前憲法自由主義的なものであったことから、このように言われているが、全く近代思想とは真逆な前時代に戻っていくもので、到底受け入れることが出来ないものだ。
 
長々と全四巻にわたって書いて来たが、哲学的思想も相俟って難しい。
これを書くにあたって著者の知識、教養には頭を下げるしかない。
並大抵の勉学ではこんものは書けない。
はっきり言って凡夫には疲れる書物で、お手上げでした、これを読まれた方も、私の稚拙な文章では何が何やら解らなかったと思うが、どうぞ悪しからず。
最後に二つの絵を紹介して終わりたい。 

f:id:pione1:20191014110754j:plain

《聖イシードロの牧場》(140×438cm)(1788年).  

f:id:pione1:20191005111732j:plain

 《老婦人に話してる修道士》 (1824~1825年)