愛に恋

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ポロポロ 田中小実昌

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本書は七編からなる短編集で、主に昭和19年暮れから終戦まで、著者の初年兵当時の思い出を書いたものだが、かなり年月が経ってからの著書とあって、記憶が定かでないところもあるが、二等兵として如何に中国戦線の従軍が大変だったか、こんな生活はまっぴらだと思わせるに足る本だと言える。

行軍するにあたって兵隊は誰でも背嚢を背負うのがあたりまえだが、これが重い。

 

「小休止!」の声に、背嚢を放り出すというより、背嚢が背中からすべりおち、道ばたにころがる。背嚢がすべりおちるのに、みごともくそもないが、なんともなれたすげりおちかただった。

われわれは完全軍装で、一日70キロも行軍したあと、戦闘にはいって、××の城壁によじのぼり、なんて自慢していた、となりの中隊の中隊長代理の軍曹が、行軍で顎を出した。

 

戦闘と飢えを除けば軍隊生活で行軍ほど辛いものはなかろう。

著者もそう言っているが、完全軍装で70キロも歩けるものだろうか。

更に戦闘に入ったとあるが信じられない。

 

また、戦争末期で敵機の襲来もあることからして、夜間行軍となる。

 

睡眠時間はどうなっているのか、落伍者はそのまま置いて行く、即ち死を意味する。

雨の中でも疲れ切って眠り、排便は当然脇道で処理。

 

行軍のときは、ほんとうに、もっているものは、なんでもすててしまいたい。

自分のからだの皮でも剥いで、すてたい。

 

著者は鉄砲はもちろん、米まで捨てたあとあるから、よっぽどのことだったんだろう。

手ぶらで歩くにも大変な距離を、足のサイズに靴を合わせるのではなく、靴のサイズに足を合わせろなんて酷いことを言われ、爪に血豆が出来た場合はどうするのか。

 

然し、血豆ぐらいならまだましな方で、恐いのは病気に感染した場合、下痢をしている者は必ず報告するように義務付けられていたようだが、著者の場合、粘液便が続いて、アメーバ赤痢に罹患していたとあるが、他に、パラチフス発疹チフス赤痢マラリア天然痘と、いったい何のために戦いに来たのか、これでは分からない。

戦闘で死ぬなら兵隊として仕方ないにしても、飢餓や病気で死ぬなどまっぴらだ。

 

田中小実昌という人は、その生前、何度かテレビなどで見たことがあったが、なにか飄々として、どんな人物なのか知らないままに亡くなって、このような体験のある人だとは知らなかった。

剥げていた所為もあってか、いつも毛糸の帽子を被っていた記憶しかない。

その田中小実昌の古本は比較的売れているようなので、ここ最近、私も見つけ次第買ってはいたのだが、本書は著者の経歴を知る上でも貴重なものだろう。

 

因みに「ポロポロ」とは主人公(著者)の父がプロテスタントの牧師で、教派を離れ独立教会を作り、まともな説教が出来きない。

ただ神に祈り、言葉にならない言葉で自分のうちを神に訴える発音が、幼い著者にはポロポロと聞こえたか、パウロパウロがポロポロになったのか知らないが、本書のタイトルとして蘇ったわけだ。