遣って来ました第三巻です。
先ずもって、私を驚かせたのは61ページにあるこの記述、ある結婚式に出席したしていた家族の中に、17歳のレオカーディア・ソリーリャ・ガラルサという極めて美しい少女がいた。
レオカーディアは直ぐイシードロ・ウェイスという平凡な商人と結婚、然し、ゴヤの妻ホセーファの死後、26歳になっていたレオカーディア、離婚もせずに68歳のゴヤとの間に子供を作ってしまった。
恐るべしゴヤの精力!
だが、カトリックでは離婚は認められていない。
扨て、第三巻はナポレオン戦争に多くの紙数を割いている、手始めにナポレオンは現地指揮官に対しこのように指令している。
貴官に与えた(マドリードへの)進撃命令は、3月19日の事件によってあまりにも早すぎた。余は命令する、軍旗を厳しくせよ、如何なる間違えもあってはならぬ、住民に対しては最大限の配慮をせよ。第一に教会と修道院を尊重せよ。軍は如何なる遭遇も避けよ、スペイン軍とのそれであれ、分遣隊とのそれであれ。如何なる側面においても、導火線に火をつけてはならぬ。もし戦争に火がついたら、一切は失われる。
然し、小競り合いからフランスのミュラ将軍はスペイン軍を砲撃、ナポレオンの厳重な訓戒を忘れ、仕掛けられた罠にミュラは頭から突っ込んでいった。
ここにフランス対スペインは長く残酷な戦争に突入しいく。
私はゴヤの絵をこれまで見てきて、残虐行為を行ったのは主にフランス軍かと思っていたが、スペイン軍の行った残虐行為に怒りを覚えたフランス軍の復讐心のように解釈したのだが。
ゴヤは、それらのことを多く版画で残している。
《戦争の惨禍》1810-1820
とにかくこの時代のスペインの歴史はややこしい。
ゴヤの身近な知識人は、フランスこそが人間の尊厳を発見してこれを保証した国であり、この国との協力によってしか、いまだに、中世的暗黒のなかに浸っている祖国を救う道はないと信じていた。
だが、歴史は一筋縄ではいかない。
フランスからのスペインの独立戦争、ブルボン王朝の圧政に対する抵抗、親仏派対反仏派、教会の堕落、スペインに加担するイギリス。
ゴヤは数多くの版画でこの時代を捉えているが、果たしてゴヤ本人が目撃したものか、或いは聞き齧ったものをエッチングしたのか判然としないが、とにかく両軍が行った行為は血なまぐさい。
出来得る限り残酷な殺害方法を選んで戦争は遂行される。
ただし、ゴヤが版画で描いたものは戦闘や戦争ではなく「結果」を捉えて描く。
版画集『戦争の惨禍』には勝利というものは、まったく影も形もない。
ゴヤがかかる状況の中でスペインにいたことは確かで、首席宮廷画家のパスポートが敵味方双方に通用したらしい。
フランスの総司令官ランヌは、ナポレオンに対し次のような手紙を送る。
「陛下、身の毛の逆立つ戦争でした」
こんな記述もある。
ある竜騎兵の将校が、歯と歯の間に、切り取られた彼自身のペニスをくわえさせられて、ある納屋の入口に釘付けにされていた。サモラでは、ある下士官が、あたかも肉屋の陳列台のようにタテ裂きに裂かれて肉鉤に吊るされていた。フランス兵たちの怒りは頂点に達した。肉屋某をとっ捕まえて同じことをやって復讐をした。
略奪と残虐行為はフランス軍とスペイン軍に限らず、援軍に来たイギリス軍にも同じような行為がみられ、全く想像するにおぞましい限りだ。
この当時、聖職者によって「戦争用教理問答」なるものが配布されていたらしいが、それには以下のように書かれている。
・われわれの幸福の敵は誰か?と問えば、
フランス兵の皇帝、
と答えが返って来る。
・どんな男だ?
諸悪の根源。
・スペイン人はどう振舞うべきか?
主イエス・キリストの教えに従え。
・フランス人を殺すことは罪か?
否、奴ら異端の犬どもを殺すことによって天国に所を得ることが出来るのだ。
聖職者が進んでこのように教えていたわけだから、殺人は罪ではない。
これがカトリックというものか。
然し、ナポレオンもこんなことを言っている。
「戦争をして戦争を営ましめよ」
どういうことか良く解らない。
今回、本書を読むにあたって終始私を苦しめたものに、やや哲学的な文章が至る所に散見でき、これが何ともややこしい。
真理・平和と労働に並立、あるいは真理・平和が労働を保護、保障し、その逆もまた真であるという相互保障の考え方は、一切の権力的なものの排除とあわせて、まことに、年若い隣国の同時代者である、プルードンのアナーキズムを彷彿とさせるものである。
これは版画集『戦争の惨禍』の叙述に就いて述べたものだが、サッパリ解りません。
《1808年5月2日、 エジプト人親衛隊との戦闘》
《1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺》
この歴史的大作について著者はこう述べている。
つまりはそれまでの古典主義的な美と芸術の離婚がここに開始されているという歴史的事実、この二枚にもっとも明白にあらわれているということでもある。そういう意味では、文学への近接が開始されていると言ってもよいであろう。アンドレ・マルローがそのゴヤ論の結語とした「ここから、現代絵画の幕が切っておとされたのである」という気障な言い方も、その他のことを意味するものではない。
従って、それはまた美術史の折り返し地点であると同時に、ヨーロッパの人間の魂の在り様が全的に変革されてえしまう、その時期の開始点でもある。「神は死んだ」とするニーチェも「我は悪魔なれば、すべて人間的なるもの、我に無縁ならず」とするドストエフスキーもエミール・ゾラも、またゴヤの聾兄妹のようなベートーヴェンもまたこの折り返し地点の人間である。
《自画像】1815年
締めくくりとして著者は言う。
英雄を描かず、大衆を描く。聖母を描かず、魔女を描く。聖杯を描かず、おまるを描く。顰蹙こそゴヤの信念を色濃く打ち出されている。これまでも芸術の歴史を見れば、新しい時代の幕開けはいつも顰蹙とともにある。顰蹙こそ力なのだ。
第4巻に続く。