ふるき仲間
ふるき仲間も遠く去れば
また日ごろ顔あはせねば
知らぬ昔と変わりなきはかなさよ
春になれば草の雨
三月桜、四月すかんぽの花のくれない
また五月には杜若(かきつばた)
花とりどり、人ちりぢりのながめ
窓の外のいり日雲
ふるき仲間も遠く去れば
また日ごろ顔あはせねば
知らぬ昔と変わりなきはかなさよ
春になれば草の雨
三月桜、四月すかんぽの花のくれない
また五月には杜若(かきつばた)
花とりどり、人ちりぢりのながめ
窓の外のいり日雲
この詩はいつ頃の作だろうか。
木下杢太郎は終戦の年の10月に死去しているからかなり古い作品かと思う。
何か無常観があって切ない。
歳月とは二度と会えない人を作り出す過去帳みたいなものだ。
誰も思うことは一緒だろう。
みんな、元気でやっているのかと。
木下杢太郎のふるき仲間とは、どんな人たちを言うのか。
以前、与謝野鉄幹、北原白秋、吉井勇、平野万里、木下杢太郎らで九州北部の南蛮遺跡を探訪し、新聞に連載された紀行文『五足の靴』という岩波文庫から出ている本を読んだことがある。
明治の昔とあって交通事情も悪く徒歩行軍であるが、これがなかなか楽しい。
仲間と言っても後に師事する森鴎外や与謝野鉄幹は仲間というわけにはいかないが、ざっとその交流歴を見ると。
先に上げた人の他に、上田敏、永井荷風、小山内薫、永井荷風、高村光太郎、武者小路実篤、谷崎潤一郎、岡本一平、石川啄木等と錚々たる近代文学史のメンバーになる。
議論百出、放歌高吟、捧腹絶倒、どんな会合が持たれていたのか、かつてこんな時代があったことが羨ましい。
そこで気になるのが『木下杢太郎日記』全5巻。
だが、今の私は古本を買うということは、読むことではなく溜めるということに等しい。
よって、暫くは我慢するのが必定と心得る。