愛に恋

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お葉

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これは「責め絵」を得意とした伊藤晴雨という画家の作品。
明治15年生まれの晴雨は放蕩三昧を尽くしながら芝居絵などを描いていたが、34歳の時に、お兼という12歳のモデルに出会い、彼女に惚れ込み責め絵の世界に入っていった。
大正五年から七年までの期間、晴雨のモデルとして働いたらき男女の関係もあったようだ。
然し、お兼をモデルとした絵は震災や戦災に遭い一枚も残っていない。
 
お兼の名は本によってまちまちで、鈴木かねよ、永井兼代、佐々木かねよ、とも呼ばれ判然としないが子供時代はカネヨと呼ばれていたらしいが、本名は永井カ子ヨ(かねよ)という。
 
当時、お兼は西洋画科教授の藤島武二の知遇は得ていたが、彼女をモデルとして使うことはなく、それから3年後の大正8年、15歳の時に35歳の夢二と知り合い名作のモデルとなった。
 

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 『黒船屋』ですね。

晴雨と愛人関係にあったお兼は、大正10年、夢二と所帯を持つ。
然し、女癖の悪い夢二と別れた後、22歳で藤島武二のモデルとして再び登場する。
 

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『婦人半裸像』
夢二の絵よりかなりふくよかな印象ですね。
そしてこれ!
 

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 同じく藤島武二芳蕙』。
晴雨の絵は別にして、以下3枚の絵は何れも同一人物、即ちお兼ことお葉、つまりこの人です。

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 たまき、彦乃、とくればお葉ですね。

俗に「嘘つきお兼」、魔性の女として浮名を流した彼女は1980年、76歳で死去。
一度、テレビなどに出てもらって昔の話などを聞きたかったものだ。
然し、晴雨が描いたお葉が一枚も残ってないというのは残念だ。