愛に恋

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徳富蘇峰の演説

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以前から思っていることに、先の大戦について「無謀な戦争」だったとはよく言われるが、ならいったい、あの時点でどうしたらよかったのか、という答えはなかなか得られないように思うがどうだろう。
あれではまるで窮鼠、猫を噛むとの譬えではないかと思ってしまうのだが。
 
日本は三国同盟の締結直前に、ドイツの支配下にあったフランス政府と交渉して北部仏印に進駐して援蒋ルートを遮断。
日本としてはこれは当然の戦略と言えるだろう。
その結果、招いたアメリカの報復措置。
屑鉄の対日輸出禁止など鋼鉄、銅など次々に品目を増やされていった。
 
これは日本にとっては死活問題。
さらに警戒したのは石油の禁輸で、当時、日本の消費量の75%がアメリカからの依存で国家の存立に関わる大問題。
日米交渉は昭和16年4月から野村大使とハル国務長官との間で折衝が続き、アメリカ側は中国からの撤兵を要求しているが、当然、軍部としては呑める案ではない。
 
一方、石油輸入のアメリカからの依存度を脱却するため、陸軍は南部仏印へ進駐。
これこそが決定的な問題でアメリカ側を硬化させた。
そんな中、徳富蘇峰はこのような演説をぶった。
 
「日本が大東亜新秩序建設途上に横たわる一大障害はアングロサクソンである。これに勝てば、もはや英国に依存する東洋民族はなくなるのみならず、われらもまた英国の桎梏から解放される。米国は日本が積極的に進んでいけば、無論衝突する。世の中には日米衝突は百害あって一利なきことを知っても、これをおこなうことがあり、またおこなわなければならないことがある。日米衝突もまたそのひとつだ。これに道理を説いて、平和に解決しようとすると、かえって、日本の腰が抜けて七重の膝を八重に折ると考え、いまが攻めどきと考えて、やってくれるかも知れぬ。故に早く覚悟を決めて、断然たる処置をとるがよい」
 
結果、突き付けられたハル・ノートはあまりにも衝撃的だった。
中国、仏印らの全面撤退。
汪兆銘政権の否定。
満州国の解消。
日独伊三国同盟の破棄。
 
ハル・ノートを受諾するということは、日露戦争以前の日本に戻ることを意味している。
東條首相以下、全閣僚が「到底受け入れられる提案ではない」と拒否。
対米戦に反対だった東郷外相ですらこう言っている。
 
「目もくらむばかりの失望に撃たれた。長年にわたる日本の犠牲を無視し、極東における大国たる地位を捨てよと言うのであるから、これは日本の自殺に等しい。この公文は日本に対して全面的屈服か戦争かを強要する以上の意義、即ち日本に対する挑戦状を突きつけたと見て差し支えない。これがアメリカの最後通牒であるなら、戦争はやむを得ない」
 
と激昂して開戦反対を撤回したとある。
この問題、読めば読むほど、知れば知るほど悩ましい難題だと思う。
平和は尊い
然し、平和維持は相手のあることゆえ、念仏を唱えていればそれで済むというものでもない。
やはりヨーロッパ戦線に肩入れし、参戦の機会を狙っていたルーズベルトの術中に嵌ってしまったのか。
ハルノートは何よりそれを証明していると思うが。
 
因みに徳富蘇峰とは1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)の大ジャーナリストで、それなりの影響力を持っていた人物でさえ開戦論者だったということを、どう理解したらいい。