明治28年10月6日、この日の伊予松山は快晴だった。
正岡子規は友人の漱石を連れ立ってこの寺に来た。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%8E%B3%E5%AF%BA_(%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%B8%82)#/media/
「宝厳寺に謁づ。一遍上人御誕生の霊地とかや。古往今来当地出身の第一の豪傑なり」
と述べ、
「山門に腰うちかけて」
一句詠んだ。
色里や 十歩はなれて 秋の風
山門から下は、明治の昔は色里、つまり遊郭だったらしい。
誰が言ったか階段を挟んで上と下。
「上も極楽、下も極楽」
なるほど!風情ある当時の佇まいを一度見たかった。
どんな色恋沙汰がこの界隈にあったのだろうか。
正史に載らない庶民の歴史、みんな秋の風がさらって行ってしまったか。
色里や 是非も行きたいや 伊予の国
ダメかかな、これでは!