大正三美人の筆頭、九条武子、どうだろうかこのお顔。
以前、柳原白蓮については確か記事を書いているので省くが、今一人は林きむ子、または新橋の芸者江木欣々という説もある。
九条武子は京都西本願寺法主二十一世大谷光尊(伯爵)の次女で、実兄大谷光瑞はシルクロード探検隊としてよく知られた人物。
『青眉抄』の中で上村松園は九条武子を見てこう評している。
九条武子夫人は、松契という画号で、私の家にも訪ねて来られ、私もお伺いして絵の稽古をしていられました。武子さんの、あの上品な気品の高い姿や顔形は、日本的な女らしさとでもいうような美の極致だと思います。あんな綺麗な方はめったにないと思います。綺麗な人は得なもので、どんな髷に結っても、どのような衣裳をつけられても、皆が皆よう似合うのです。いつでしたか、一度丸髷に結うていられたことがありました。たいていはハイカラで、髷を結うていなさることは滅多にないので、私は記念に、手早く写生させて貰いましたが、まことに水もしたたるような美しさでした。
「月蝕の宵」はその時の写生を参考にしたのです。もちろん全部武子夫人の写生を用いたという訳ではありませんが……
「月蝕の宵」はその時の写生を参考にしたのです。もちろん全部武子夫人の写生を用いたという訳ではありませんが……
大いなるものゝ力にひかれゆく
わが足もとの覚つかなしや
わが足もとの覚つかなしや
武子夫人の無憂華の中の一首であるが、私は武子夫人を憶い出すごとに、この歌をおもい、あの方のありし日の優しいお姿を追想するのであります。